悲観と卑下は違うもの

調べれば違うにはわかるが
悲観的だから卑下するわけでもないのだなと
思い至るので
書き留めてみました

悲観的だけど
表出が違う場合があり
不安が出たり
怒りが出たり
かなしかったり寂しかったり

悲観やその要素が
色々でてきても 
その人の個性ですが
自分がその表出のされ方が
合う合わないは
知っておくべきところかと

で、だから自分ですが

どうせ私なんて、
は、まだいいなと思うのです

そんなこと言うけどその私のいいところは?
ないの?
じゃあこれから探せるね!
楽しみだ

でいいじゃないかと思ってるんです、私


ただね、
私なんてといいながら
どこかで誰かをおとしめるとか
価値を見いださないことを
公然と言葉に盛り込まれてだされると
ダメなんだナーと

どうせのとなりに
その人が価値を見いださないものが見えて
それは私にとっては
そここそ見逃しちゃダメなとこだろう、と
大事にしたいところだと思ってしまうと
いや、もう、へこむだけ

何もないのなら見つけるだけと思うことすら言葉と感性で卑下されると
とてつもなく傷つくことがわかった

書きながら
私は傷ついたんだナーと気付き
手当てをしようと思ったのでした

ああ、ありがとうです
ここまで吐き出して
眠りにつける
明日を迎えるために

私の吐き出しに傷ついたのなら
ごめんなさい

ありがとう

明日を迎えにいきましょう


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