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愛の手「コミュニケーションは相手とつくるもの」No.68

一『愛の手』は「日常の愛」や「愛の実践」について書いたエッセイです一


どうも、コウキです!

今日は復職2回目の仕事でした。
清掃の仕事をしています。
一生懸命、洗面台と鏡を磨いてきました。
ガラスクリーナーを使ってピッカピカにしてきました。

2回目でも、まだ職場の雰囲気が掴めず、気を遣いすぎました。
3時間勤務でも、ずっと動きっぱなしだったので疲れました。

働くってこんな大変なんだなと改めて思いました。


さて、今日は掃除してたときに考えていたことを書きたいと思います。

それは、「コミュニケーションは相手と作る」ということです。

何を当たり前なことを…

と思われるかもしれませんが、僕にとっては当たり前ではなかったんです。

コミュニケーションでずっと悩んできた僕ですが、「相手と作ること」に気づいたとき、「なんとかなるんじゃない?」と思ったのです。

相手にちゃんと伝わるように言わないといけないと思っていたのですが、
相手と一緒にその話を作っていけばいいじゃん!
と思ったのです。

言いたいことがわからなくても、ヒントや片鱗などだけでも話していけば、なんとなく会話が成立するという体験を最近しました。

そのとき思ったのが、

もっと相手に甘えていいんだ

ということです。

僕は、どうしても会話をすると緊張してしまい、噛んだりどもったり、言い間違えたりしてしまいます。
これらが恥ずかしくて会話するのが嫌いでした。
歳を取り大分抵抗はなくなりましたが、まだ固いコミュニケーションしてるなと思ってました。

でも、そんな自分はすぐに変わることは出来ないし、もしかしたら変わる必要がないのかもしれない。
相手を頼ればもっと楽に楽しくコミュニケーションが取れるかも。

最後のピースは、自分の中ではなく相手にありました。

会話は2人で作るということを理解し、
すなわち言葉という愛を紡ぎ合い、その行為を楽しむことこそがコミュニケーションの本質だと思いました。

そしてそのコミュニケーションを円滑にする潤滑油として「愛」があることもわかりました。

相手に愛を持って接することこそが、今の自分のできることだと思いました。

そのためにまず自分を愛で満たし、常にいい気分でいることが大事で、笑顔で話しやすい雰囲気を保つことで円滑なコミュニケーションが図れるなと考えました。

そして、よく聴く、相手の言わんとしていることをできるだけ汲み取る、相手にちゃんと聴いているということを教えるための相槌をする。

今までやってきたことが繋がってきました。

愛は何のためにあるのか?
自分のためでもあるが、相手のために、
相手と仲良くなるために愛は存在する。

蓄えた愛を相手のために使う。

他人を愛するための初心がわかりました。

今まで言葉ではわかっていましたが、やっと理解して腑に落ちました。

愛とは、自分と他者をつなぐ糸のようなものである。
愛は自分も持ってるし、相手も持っている。
相手の愛を感じるだけでなく、受け取るという意識を持つ。
自分の与えた愛(言葉など)は相手が良い感じで使ってくれると信じる。
そして愛を持って甘える。

よし

自分の中でまとまりました。

読者のみなさんを置き去りにしたかもしれません。
すみません。

言いたいことは、もっと相手に甘えていいんじゃない?ってことです。
自分だけで抱えてないでね。
せっかく自分の他に人がいるんだから。

って感じですかね!

明日からはもう少し楽に人と接しられそうです。
すごい発見をしてしまいました。

では読んでいただいてありがとうございました!

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