ありがとう、青木宣親。背番号23よ、永遠に…

先日、10/2はヤクルト青木宣親の引退試合だった。長年に渡りヤクルトの打線を牽引し、精神的支柱であり続けた偉大なバットマンの伝説の最終章だ。今回は、青木宣親のプロ野球人生を振り返りつつ、私の想いを語りたいと思う。

早稲田大学から2003年ドラフト4位で入団。決して華々しいスタートではなかった。しかし1年目の2004年、二軍で首位打者になるなど着実に力をつけていった。そして迎えた2005年。一軍デビューをしたと思えば、イチローに次いでNPB2人目のシーズン200本安打を達成する。この時点でとんでもないバケモノである。その年は新人王、最多安打、首位打者のタイトルを獲得し、一気に球界の顔にまで登り詰めた。その後も盗塁王や最高出塁率、七度のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。2006年、2009年のWBCでは世界一に貢献。2010年には史上初の二度目のシーズン200本安打を達成した。そして2011年オフ、彼は海を渡った。大リーグ挑戦である。そこでもやはり彼の打棒は健在だった。毎年安定した成績を残し、6年間で7球団を渡り歩いた。ロイヤルズでは、ワールドシリーズに出場。2017年、日米通算2000安打を達成。そしてその年のオフ、世界に輝くヒーローはヤクルトに帰ってきた。そこで彼はこう言った。「ヤクルトを優勝させることしか考えていない」

ヤクルトに復帰したその年、前年圧倒的最下位に終わっていたチームは2位にまで躍進した。ここで成長したチームは19,20年と落ち込むものの、迎えた2021年。20年ぶりに悲願であった日本一を成し遂げる。彼が入団してから18年目のことだった。精神的支柱として彼が果たした役割は計り知れない。そして、2024年。彼は後進のためにバットを置く決断をした。

10月2日、神宮球場。
大学時代から慣れ親しんだそのグラウンドで彼はラストゲームに望んだ。1番センター青木。彼が育った守備位置、そして打順。第二打席では逆方向にヒット、第四打席では引っ張ってツーベース。右へ左へ広角打法、まさに彼らしいヒットであった。そして引退セレモニー。多くの選手、ファン、関係者に惜しまれつつ引退した。

青木さんへ
あなたが21年間の現役生活で積み重ねたヒットの数は2730。歴代で見ても5番目。本当にとてつもない数字です。けれども、数字やタイトル以外にもあなたは数えきれないほどの財産を愛するチーム、ヤクルトに残してくださいました。あなたの姿勢や取り組みは、必ず周囲の人々にとって貴重な教えとなったはずです。ファンとしては、ヤクルトを優勝させると言って、それを有言実行してくれて本当に感謝しかありません。あなたの打撃がもう見られなくなるのは惜しいし、寂しいですが、私たちファンの脳裏にその記録、記憶はしっかりと焼き付いています。あなたの勇姿を絶対に忘れません。世界に輝いた安打製造機の物語はここでピリオドが打たれます。ヤクルト一筋、背番号23、ミスタースワローズ青木宣親。本当にありがとう。また会いましょう!

ここで勝利を呼べ
行くぞ 青木宣親

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