言葉をつなぐ
#自分で選んでよかったこと
もう半世紀も前のことになります。それまで勤めていた会社に居心地の悪さを感じ始めていた頃のこと。知り合いの人たちが会社を立ち上げ、私へのお誘いではなく、なぜその会社を始めたか、という思いを込めた手紙を受け取りました。最初は「ふーん、そうなのか」程度に思っていましたが、日を追うごとに通勤がおっくうになり、再就職のことが頭に浮かぶようになると、その手紙のことが頭を掠めました。社員募集をしているようでしたので、その会社の代表の方に会ってみることにしました。その方は新しい英語教育を始める、その新しさがどこにあるかを熱心に語られました。すでに40歳を過ぎておられたその方の弁舌は、まるで学生時代の続きのようでした。つまり情熱的で、論理的で、これから何かを成し遂げるといった意欲に溢れていました。自分が具体的にどのような仕事をすることになるか、ということなどは聞きもしないで、ただただ彼の輝く言葉に引き寄せられました。この人についていけば価値ある仕事、退屈しない仕事、自分の可能性を見つけられる仕事ができるかもしれない、そんな気持ちになり、早々と就職することを決めました。
ところが、です。転居までして通勤し始めて半年もしないうちに、会社が立ち行かなくなり、その代表の方は責任を取って辞表を出されました。その時、ああ情熱があっても経営は素人だったのかと、愕然とした思いに囚われました。それなら俺も辞めるかとなるところでしたが、知り合いが次の代表となり、再出発が決まりましたので、それに賭けてみました。しかし、彼もまたすぐに頓挫し、さらに少し間をおいてですが、二人の方が続いて代表についたもののやはり続きませんでした。気がつけば酔っ払いの千鳥足のような生活が15年。ついに自分が後を引き継ぎ、経営者になるしかない、という状況に。それから35年が経ち今に至っています。仕事を選択し直す機会が幾度もあったにも関わらず、これも縁なのかなと感じている毎日です。他の仕事につかなかったことを、私は後悔しているかどうか、時々自問する時があります。ただ、最初の代表者の情熱的な声が今もはっきりと耳に残っており、気がつけば77歳になる自分の意地はそこからきているのだと思い直します。彼は資産を残さなかったけれど、言葉を残していきました。彼がやりたかったことは、リレーのバトンとして、今も私の手に握られています。なぜなら、彼の情熱こそ、私自身が青春時代に見失っていたものだから、そう言えるような気がするのです。
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