物語に向き合って英語学習を始める その3
音読活動について書きます。
音読については、昔からその重要さが説かれています。特に國弘正雄氏による「英語の学びかた」「英語の話しかた」、それに「英会話・ぜったい音読」シリーズなどでは音読のことを強調されています。しかし、その他の音読を勧める本も含めて、多くの場合、ある程度英語力のある大人が、英文の意味を踏まえて読むことが中心の話題となっています。英語力があり、でも伸び悩んでいる人たちへの助言であるようです。私たちの場合は、ほとんど英語力がゼロと言える小学生、中学生あるいは大人の方であっても音読に取り組みましょうというものです。「只管朗読」を唱えられる國弘さんの提案は正しいと思います。とにかく音読が中心で、その他の活動は従といっていいかもしれません。英語力を伸ばすための音読というより、音読を通して英語を理解し、力をつけましょうというものと言えるでしょう。もちろんある程度英語力がある人が私たちの方法を実践することで、さらに伸ばすことができます。音読⇨朗読⇨速読へと一直線に進むためには、いつも英語は声に出すということにつきます。
小学校でも英語学習が始まっています。しかし、私たちのところへ通ってくる生徒に、どのような英語を習っているかを聞いてみても、ほとんど答えられないところを見ると、それほど画期的なことはやっていないように思われます。実際、私たちの教室にやってきて習い始める生徒のほとんどは、初歩的な英語も読めません。学校は多人数での授業ですから、教師がどんなに熱心でも、一人一人の進歩を気にかけることまではできていないようです。
私たちの教室では、前々回に書きましたが、小学2・3年生の場合、数分程度の物語を、英文と日本語文を一文ずつセットにして録音したものが教材となります。生徒は英日セットで聞きますので、まず意味の流れ、物語の進行はすぐにわかるようになります。またなれてくると英語版を聞いたりもします。大体5ヶ月前後でほぼ全文を暗記し、グループ(3―5人)で劇として仕上げます。劇ですから登場人物になった人、ナレーションになる場合と役割も色々ですが、動作がつきますので意味を十分に把握して覚えていくわけです。
普段は先生が英文を言い、生徒が真似をして言うことの繰り返しです。慣れてくると少しずつ英文を生徒自身が言い、危ういところを先生が手助けします。1回の授業で2回ほどの劇練習をしますから、全行程では20回から25回は繰り返すことになるでしょうか。生徒は登場人物になりきります。ヤギやクマや少女やカブのお爺さん役などです。ナレーションを語る生徒は登場人物の動きを見ながら、それに合わせないといけません。すっぽりと物語の中に入ってしまう感じです。2年生だと2年間に6作品の物語の劇に取り組むことになります。もちろんモデル音声を聴き込んでの発表ですから、イントネーションは素晴らしい。でも、細かいところの発音は、もうちょっと、というところ。あまり細かいことを気にせず、むしろ登場人物になりきって話すところを褒めたいところです。
前回お話しした4・5年生や6年生の場合の音読。
まずは先生の後について読む練習があります。全文を1回は読み、あとは次週から始まる語順訳を行う箇所、最初はほんの数行、慣れてくれば1ページという具合。
自宅ではスラッシュの区切りが入った単位で練習します。いわゆるチャンクですが、モデル音声が話し、それと同じ秒数だけ空白時間があり、そしてまた、モデル音声が話す。その空白時間内に生徒は真似て言う練習をします。この段階では英文の意味を理解していません。理解していないで実践する音読です。いわばスポーツでいうところの個人で行う柔軟体操といったところでしょうか。まずスラスラ言えるようになることが大事なのです。読めない英文を語順訳しても意味がありません。(対象の英文が上手に読めないのに、文法説明を聞かされるのはもっと意味がありません)。
授業ではこのスラッシュごとの読みでチェック。翌週は前週に訳を行ったところの読みの復習もあります。よく読めるようであれば、カナを振っていない英文テキストを見ながらを読ませたりします。ここからは意味を踏まえての音読になっていきます。6年生〜中学生でよくできるようになった生徒には、時々シャドーイング形式の音読もさせます。要は一律指導ではなく、その生徒のレベルを図りながら、いく種類かの音読を試みます。また教室によっても指導の細かい箇所は異なっています。私たちの教室では、教材および音読と語順訳という方法の基本的考えを共有してはいますが、あとは個々の先生の個性がありますので自由です。問題集も選択自由ですし、使わないという教室もあります。地域によってはほとんどの生徒が塾にも通っているという状況があれば、私たちにしかできないことをするというわけです。学校でも塾でもやっている問題集などを使用しても仕方がないですから。
音読で大切なことは、まずモデル音声に忠実かどうか。それをスラスラ言えるようになれば、次は気持ちを込めて言いなさい、となります。気持ちを込めるとは、内容をよく理解したなら、それを自分の言葉のつもりになって読む、いわゆる朗読できるかどうかです。いつもその先を目指すということが大事です。ただ読めた、ではものになりません。ほとんどの学習法では、とりあえず読めるからということでその単元は終了。あとは個人の自習でというものではないでしょうか。学校での学習枠を前提にした学びかたではどうしてもカリキュラム優先となります。あくまでも個々の生徒の進度を大切にしないと、中途半端になってしまいます。
ところで、小中学生の段階では、自習だけで音読し続けるというのは辛いものですし、長続きしないでしょう。また、どうしても自分では気づかない癖などもあるでしょうから、必ず教室で先生と共に行うのが好ましい。一人だと、声の大きさもついつい小さくなってしまいがちですから、モデル音声だけではなく、先生の声に合わせてというのが良いように思います。先生がエネルギッシュに発音すると、生徒たちの気持ちも積極的になるものです。そうして、一定の水準を越え出ることが肝要と言えます。あたかも、登場人物に成り切ったかのように話せているか、場面を想定できた上で地の文の語り手になっているかどうか、です。小学生で劇をすることの意味はそこにあります。教室を卒業して何年も経ってから教室を訪れてくれる元生徒たちがよく言うのは、今でも〇〇物語を覚えていますから音読できます、ということです。しっかり暗誦した英文はいつまでも残るものなのです。
さて、小学4年生が最初に取り組む作品 ‘The Slow-Witted Jackal’は全体で長短合わせて100ほどの文で成り立っています。それを半年ほどで語順訳を行い、音読し、暗誦し、劇にします。そのほかにもフォニクス、会話集の練習をし、単語集にも挑戦します。これほどの量をこなすためには、英語の文字や単語、文章がなるべく早く読めるようにしなければなりません。私たちの方法は、フォニクスを終了したら、次の会話、会話が済めば、次に単語、単語を覚えたら物語の語順訳へ進む、というものではありません。どれも未完成のまま、でもどの活動をしていても、英語を読むことへの意識づけは怠りません。こうした複数の活動をしていると生徒たちの頭の中はいわばカオス状態ではないかと思います。しかし、次第にネットワークが形成されて、読む力がどんどんつくように見えます。それは日々新しい単語、単語集だけではなく物語に出てくる単語も含めてですが、自然と読める語が増えてゆくのを見かけることでわかります。単語テストでも1箇所の文字だけが違うといった進歩を見せてくれます。逆に言えば、フォニクスが定着して間違いが少なくなってゆくのです。赤ちゃんが自分にかけられる言葉にやがて規則を発見してゆくのに似て、生徒もカオス状態の中で無意識に、別々に見える事柄の関連付けを行なっているのかもしれません。言葉が易しいかどうかではなく、その言葉が自分にとって身近なものとして感じられれば、次のような文章だって平気で言えるようになるのですから。
Jacal: Strange. But I still don’t understand.
Perhaps we’d better go back to where it all began.
Then I am sure I will understand better.
So the poor man took the slow-witted jackal to the cage.
(‘The Slow-Witted Jackal’から)
次回は、このような音読中心の活動と英文の語順に沿って訳していく方法、その基底にある私たちの視座についてお伝えします。
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