見出し画像

『はてしない物語』におけるバスチアンの「望み」の変遷について

私は小説「はてしない物語」を読んで、主人公バスチアン・バルタザール・ブックスの「望み」の変遷について、以下のように思いました。

1.最初は、母を失い父に相手にされず愛されている実感がない自分、太っていて失敗ばかりで周囲に笑われている自分、そういう現実にいる自分が嫌で、物語の世界に入ることを望みます。

2.物語の世界に入ってからは、物語世界の女神から授かった万能の権力を利用して、自分の嫌いな特徴を自分が望むものに変えていきます。運動能力は抜群に、顔は美しく、肉体はスマートに、精神も恐れを知らないように、劣っていた自分から優れた自分になることを望みます。

3.女神の力で望ましい姿に変身してから数日は、自己満足に浸っていることができましたが、徐々に自分が優れていると自認しているだけでは物足りないと、何らかの飢餓感を覚えるようになります。その飢餓感の正体は「他人に褒めてもらうこと」であり、バスチアンは「自分を認め褒めてくれる他者」の存在を望みます。

4.そうして様々な他者と交流し、自分の優秀さを示して英雄視されることで、バスチアンは「他人に褒められ認められたい」という望みを叶えます。しかしまた、この望みが満たされると、何かが足りないとバスチアンは感じるようになります。このあたりから、バスチアンは自分が足りないと感じている「何か」が何なのか、見つけられなくなっていきます。何かが足りないと感じているのに、それが何なのかが理解できず、バスチアンは苛立ち、優れた全能の自分よりも「劣った弱い」他人に当たり散らすようになります。バスチアンは、自覚なく、自分の「本当の望み」を望むようになります。

5.飢餓感は強まり、満たされなくなったバスチアンはフラストレーションを蓄積し、それを他人にぶつける頻度と強度は上がっていきます。ついに暴君と化したバスチアンに、物語世界の人々は団結して抵抗します。壮絶な戦争の末、バスチアンはひとり敗走します。もはや自分が優れていることも、他人からの賞賛も、バスチアンの心を満たさず、バスチアンの望むものではなくなっていましたが、では何を望んでいるのか、バスチアンは分からないまま何かを望んでいました。

6.自分が望んでいるものが分からなくなり、バスチアンは物語の世界で、孤独に目的のない放浪を続けます。その途中で、バスチアンは不思議な一軒家を見つけ、立ち寄ります。その家にいた婦人は、ぼろぼろのバスチアンを招きいれ、何も聞かずに衣食住を与えます。バスチアンは不思議な家での生活を通して、現実で母と死別してから長らく得ることのできなかった「安心」を感じます。バスチアンは、自分の本当の望みが何であるかはまだはっきりとは分からないものの、この家での婦人との生活で満たされていく自分を感じます。バスチアンはこの家に長く留まり、満たされることを望みます。

7.あるときバスチアンは、婦人と過ごす安らかな生活によって、「満たされた自分」に気づきます。バスチアンが本当に望んでいたのは「無条件に愛されること」でした。自分の能力や業績によらず、ただそこにいるだけで愛されるということでした。そして、自分が満たされている、何かが満ちた、と実感したことによって、自然発生的にバスチアンに新たな望みが生じます。それは、自分にとって大切な人にも「何かをしてあげたい」という望みでした。自分が何と知れず飢えていたものを満たしてもらったように、自分も誰かを満たしてあげたいという望みでした。この段階になって、バスチアンは、自分のためではなく、他の誰かのために、何かを望むようになりました。

8.バスチアンを愛情深く見守ってきた婦人は、バスチアンよりも明確にこの兆候を察知し、新たな旅路へと送り出します。愛されず満たされなかった自分、外見や能力に劣った自分、そういう世界にいる自分が嫌で、バスチアンは別の世界に生き、生まれ変わりたいと望みました。そして別の世界で、外見や能力を望みどおりに変え、およそ思いつくかぎりの望みを叶えました。しかしその末に、バスチアンは現実に戻ることを望みました。バスチアンは、物語の世界であれば万能で強く美しく、他人から軽んじられることもない畏敬の対象であったのに、母はなく父は愛さず、ちびでデブで気弱でバカにされる現実の世界に戻ることを望みます。

9.バスチアンは様々な助けを得て、物語世界から現実世界に帰還します。バスチアンが戻ったのは「母を失って悲嘆に沈んでいくしかない父親を助けたい」と望んだからでした。それは「望み」というよりは、ひとつの在り方、父を愛しているというバスチアンの在り方ゆえの行動でした。バスチアンは、物語世界で獲得した美質を失い、「劣った自分」に戻ってしまいましたが、悲嘆することはありませんでした。バスチアンは、自分が強さでけんかに勝つことも、美しさで誰かを魅了することもできなくなったことを承知していましたが、自分が誰かを愛せることを、すでに愛していることを深く承知していました。その「愛」というものが自分の中に「確かにある」と気づいたことで、バスチアンは、自分自身を認めることができました。他人だけでなく、自分自身も愛することができるようになったバスチアンは、もう「自分以外のものになりたい」とは望ます、ただ「あるがままに愛する」ことを望みました。

いいなと思ったら応援しよう!