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夢の国は絶対王政?民主政?

夢の天下統一


夢の国。

不思議な名前である。

「夢」という言葉をいつ使うであろうか。
よく耳にするのは「今日変な夢見てさ~~」という、寝てるときに見る「アレ」を指す時。
そして「あなたの将来の夢は何?」というような、将来像を表す意味での夢。

どちらの意味にしても、夢とは「他者からはどんなものかわからない、極めて個人に依存するもの」である。
つまり、具体的な「夢」そのものには、人々の間に共通項がないのである。だって夢は人によって違うから。希望に満ちているものもあれば、荒唐無稽なものも、恐ろしいものもあるだろう。


改めて、冒頭に戻る。
夢の国。
「一体どんな国なんだろうか」
もしこの世界にディズニーがなかったら、そう思うに違いない。
入国してみたら草間彌生美術館みたいなテイストの可能性だって十分にありえる。

草間彌生氏
https://yayoikusamamuseum.jp/about/yayoikusama/

しかし我々は、例のネズミがいて、例の取り巻きがいて、例の城がある、あの夢の国を確実にイメージする。「例の~」で伝わることがその証左だ。

恐ろしい話である。ディズニーは夢という本来一人ひとりが異なる印象を抱くはずのものを、一つに統べてしまった。夢の覇権を握ったのだ。
その意味で「夢の国」という言葉は非常に正確である。
なぜならディズニーは夢の支配者であり、夢の王であるのだから。


しかし、力を持つ者の定めなのだろうか。絶大な影響力を持つディズニーの裏事情は常にささやかれている。
やれ死亡事故がどう、特殊音波でカラスがどうのこうの...…
噂話は今日に至るまで絶えない。
(まるで本当に王制に不満を抱く民衆の間に流れるデマだ。)


だが。実際にそんなディズニーの裏事情に切り込んだ作品がある。
それがこちらの作品。『ミッキーマウスの憂鬱』(松岡圭祐著,新潮社,2008)

友人に勧めてもらい読むことになったが、どうやら有名らしいので知ってる方も多いかもしれない。
とにかく、今回はディズニーの隠れた面を描いた本作を語っていこうと思う。
(本作で描かれるディズニーは「オリエンタルランド」ではなく「オリエンタルワールド」が経営する架空のテーマパークだ。よって語られる内容がどこまで現実に即したものかは読者にはわからない。)



あらすじ

主人公は後藤大輔。21歳。高卒のフリーター。よく言えば正直者。悪く言えば天然で鈍感のポンコツである。
しかし彼もディズニーに魅入られた人間の一人だ。かつて彼女とデートに来た時の思い出が、彼の中に鮮烈に残っている。

そんな彼は色々あってディズニーの面接に送られ、人手不足ということもあり準社員として採用されることになる。

うだつが上がらない境遇から一気に「夢」の職場へ。後藤は有頂天に達する。

バックステージ(筆者注;ゲストの目に触れないところ全般をさす語)は驚きの連続だった。なにもかもが新鮮で、ゲストとしてインパークしていたときには想像もできなかった世界がひろがっている。もうひとつの夢と魔法の王国がここにはある、後藤はそんなふうに感じた。

同書,p.52,l.3

ロールプレイングゲームで、いままで侵入できなかった場所にふいに入ることができた瞬間と同じ興奮が、後藤を包み込んでいた。こうしてみると人生はまさにRPGだ。少しばかりの勇気と挑戦が新しい道を切りひらく。かつては夢か幻にみえていた空間が現実になる。

同書,p.53,l.10

しかしそんな後藤の希望は、簡単に崩れ去る。
後藤が配属された部署は「美装部」。仕事の主な内容は「パレード・ショーの前に着ぐるみを着る出演者の手伝い」である。つまり、着ぐるみと言ってもそう簡単に持てる重量ではないため、演者の装着を手伝う人員が必要なのだ。それを担うのが主人公の部署「美装部美装二課」であったのだ。大変な重労働だし、見方によっては、雑用である。

仕事に過度な期待を抱いていた後藤は見ていられないほど悪態をつく(本当に目も当てられないほどに)。
しかし、そんな後藤がある事件をきっかけに成長していく……というのが本作の主な流れだ。


Mission:ディズニーでスニーキングせよ


「なんというか、考えたことなかったけど、そりゃそうだよなぁ」
みたいな事実が次々と明らかになる。

例えばキャストの移動手段。広大なディズニーの敷地内を、多忙なキャストは効率良く移動しなければならない。そのためになんと秘密の道路とキャスト専用のバスが、ディズニーの外周を覆うように木立の中にひっそりとあるというのだ。
ここだけ切り取ればちょっと面白い裏事情に過ぎず、なんなら逆に夢があるかもしれない。

しかし問題はここから。
いくらゲストの目から見えないように道路を引いてるとはいえ、限界はある。
例えばウエスタンランドの汽車。ここの分岐点では、どうしても乗客からキャスト専用バスが見えてしまうというのである。万が一タイミングが被った際には、ゲストから見つからないようにしないといけない。

ウエスタンリバー鉄道
https://www.tokyodisneyresort.jp/tdl/attraction/detail/154/

ではどうするか?天下のディズニー、夢の覇者。きっと素晴らしい解決策を用意しているに違いない。その斬新な方法とはいったい何であろうか。



正解は、ゲストを乗せた汽車が通り過ぎるまでバスを止めて待つ、だ。




拍子抜けである。
いや、当然なのだ。見つかりたくない相手がいた時、相手がいなくなるまで待つというのは当然なのだけど。なんというか、現実すぎるし、野生のルールすぎる。ゲストが汽車に揺られディズニーの空気を胸いっぱいに吸い込む間、キャストたちは物音立てないように息をひそめ隠れている。

「うん、なんか、ごめんね」
そんな気持ちにさせられる。ちょっと想像力を働かせればわかるんだろうけど、そのちょっとを働かせないディズニーの力が強すぎて、考えたこともなかった。


ミッキーマウスのカースト制

個人的に一番熱かったのが、ミッキー同士のライバル関係。

ミッキーの中身は複数人いる。
あんまり考えたくはなかったが、大変な人気者で引っ張りだこのミッキーを考えたら当然のことだ。

しかし、ミッキーが複数いるとなると発生することがある。
ミッキーにもカーストがあるのだ。(なんて世知辛い)

例えば、パレードとショーであれば、ショーの方が花形であるというのがキャストの認識だ。しかしそうなると、パレードのミッキーとショーのミッキーの間には確執が生じる。自分の職務に誇りがあり、互いにリスペクトもあるが、一方で同じキャラクターを演じるものとしての嫉妬・優越感……

人知れず対立するふたりの男がいる。世間には決して公にされることのない、ミッキーマウスどうしの対峙。(中略)まさに夢と魔法の王国を支えるのは、現実に生きる人々の葛藤にほかならない。

同書,p.124,l.1

もちろん、この物語は後藤の成長譚なのであるが、ミッキー同士のライバル関係、というのも注目すべきポイントだ。

最後の最後に、本当にかっこよくて鳥肌の立つ二人のやり取りがある。ぜひここで紹介したいのだが、これはやはり自分の目で読んでみてほしい。まじでしびれるから。

ゲストの理想像。「夢」にどう向き合うか。


紹介しきれないが、重労働から単純作業、人間関係における対立……キャストの本当にたくさんの苦労がこの小説では描かれる。それは私たちゲストが普段想像しえないものだ。

ディズニーは楽しい場所だ。それは間違いない。
なんなら私は大学一年生の時に3回行った。さながら東京のJKである。
それぞれ別々の相手とサシで行ったのだが、どれも大切な思い出だ。

だがその裏では夢の国を必死に支える無数の影が存在する。彼ら彼女らは今日も王国維持のために汗を流す。

私は最初にディズニーを夢の王と喩えた。しかし、この国の運営の実情は王政ではない。キャストの血の滲むような努力の上で成り立つ、かなり乱暴な言い方をすれば奴隷制で運営されているのだ。

我々ゲストはそんなことも知らずに呑気にポップコーンを口に放り込む。そしてもし落とそうものなら、気付かぬうちにキャストが処分してくれている。我々は貴族かなにかであろうか。

であるならば、我々ゲストのすべきことは、「ミッキーって本当は○人いるらしいぜ~~」みたいな愚にもつかないことを言うことではない。
全力で夢の世界にのめり込み、キャストと共に夢の国を作り上げることが、ゲストの仕事である。

ゲストとキャスト、この両者が共同で夢と向き合う時に、真の夢の国が作られるのかもしれない。きっとそれは民主的な夢の王国だ。
そんなことを妄想させてくれる本であった。


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