評価面談が憂鬱でたまらない中国駐在員が試すべきこと 前編
中国駐在で最も憂鬱な瞬間に挙げる赴任者もいるのが評価面談。二度とやりたくないとか、思い出したくないと語る駐在員はたくさんいます。
それでも、評価面談は毎年毎期やってくる。「サザエさん症候群」のように、期末になるとその先に待つ評価の季節を連想して憂鬱になるという人もいます。
評価の問題の根本解決には人事制度の改革が必要ですが、部下評価から逃げられない駐在員の立場ではそうも言ってられない。今回は「一評価者としてできること」の観点から、どうすれば評価面談が憂鬱でなくなるか、考えます。
評価面談といえばトラウマ源
評価面談といえば、駐在員にとってのトラウマ源、最も憂鬱な仕事の一つでしょう(もう一つ挙げるなら、下戸にとっての干杯酒席)。
なぜトラウマ源になるのか。理由は部下の言動にあります。典型的なのが、一方的な自己主張を延々と繰り返すこと。とにかく評価結果を変えさせようとして粘り続ける。自分が考える自分の功績や成果を延々と繰り返し主張する。できていなかった点、判断基準を説明しても、「納得できない」の一点張りで粘り続ける。
成果や功績の主張だけで足りないと見るや、泣き落とし、怒り、お願いなど、理屈抜きで評価結果への不満と引き上げを求める。「いや、もう言ったよね。交渉では変わらないよ」と言っても聞かない。ひたすら粘る。要求が通るまで「どうしてですか」「納得できません」を繰り返す。泣く、机を叩く、部屋を出て行く…。「どっちがどっちを評価しているんだよ……」と言いたくなります。
あまりのしつこさに音を上げて人事に助けを求めにいく駐在員もいます。面談を途中で抜け出して「いや、もうラチが明かないから、人事の方でなんとか言ってくれ!」と人事に駆け込む。
こんな評価面談を一度でも経験すると、さすがにうんざりしますよね。こっちの話は聞かずに自分の主張をひたすら繰り返すんですから、誰でもイヤになります。人事評価の季節が巡ってくるだけで憂鬱という気持ちも理解できます。
なぜ評価面談が憂鬱なのか
主張が一方的
どうして評価面談がイヤなのか。一番の理由は一方的な主張を繰り返し聞かされるからでしょう。
自分の観点も説明する、議論する、納得できない部分を確認する、といった行為は、被評価者として正当なものですし、評価者も受け止める必要があります。しかし、こちらの話は聞かず、受け止めず、自分の主張だけ延々と繰り返されると、相手したくなくなるのは当然です。相手しても出口がありませんから。
なお、万が一、そんな相手に根負けして評価結果を変えてしまうと、その先に待っているのは地獄。他の社員もこれを「成功事例」として模倣します。そして、そんな模倣を潔しとしない優秀な部下は不公平感を持ち、その場逃れで評価を変えた上司を「ボスとして無能」と見なします。その先は説明不要ですよね。
謙虚さがない
評価者の立場では面と向かって言えませんが、相手に謙虚さがないことも原因の一つです。
評価される側にとっての評価面談は、半期を振り返って、自分の反省点、次に向けた改善点、成長ポイントを確認する場のはず。
すべての評価に納得できたり腑に落ちたりするわけではないかもしれません。私だって日本で4社、被評価者の経験をしましたが、納得できないことはありました。でも、少なくとも「上の人たちに自分はこのように見えたんだな」とは思いましたし、評価者が求めていることとのギャップを知ることはできました。
日本なら、自分の評価がどうあれ、これはこれで受け止めて次に活かしていこうと思うのが普通で、評価者に食ってかかるようなことはしません。そういう自身の体験・感覚が基準だと、中国式の「ひたすら自己主張」には謙虚さがないと感じてしまいます。
条件闘争の場になっている
部下が、評価面談を「条件闘争の場」として使おうとすることにも、うんざりさせられます。
そもそも評価面談は、会社としての評価結果をフィードバックする場。なのに条件闘争の場であるかのように振る舞う部下たち。激昂する、自分から席を立つ、懇願する、泣き落とす、さまざまな交渉手段を使ってくる。そんな場に立ち会っていると、本来あるべき姿とのギャップの大きさに「……評価面談ってこういうものだったっけ?」と気が遠くなってしまいます。
もう話がかみ合う余地すらもなさそうで、態度を注意するというレベルを超えて、その堂々たる自己主張ぶりに開いた口がふさがらない、という状態になります。
トラウマ面談…部下側の理由・上司側の理由
部下側の理由① 交渉余地があると思っている
どうしてこんな面談になってしまうのか。
揉める理由を見てみると、そもそも部下が評価面談に交渉余地があると思っていることが大きいです。
部下側の理由② 交渉しないと損と思っている
部下は、交渉で失うものもないし、ダメ元で言うべきじゃないかと思っています。「他の人だって交渉するだろうから、自分だって」ということもあります。
上司側の理由① 交渉を許す対応になっている
日本人評価者には、頭からキッパリはねつけるオーラを持つ人がなかなかいないですね。「話だけは聞こうか」という人が多い。部下が戦闘モード・交渉モードでガーッと来ると、受けに回ってしまうところはあります。
上司側の理由② 結果を適切にフィードバックできない
評価者が結果を適切にフィードバックできていないケースは揉めます。言っているんだけど相手が納得しないパターンと、評価者も評価表の細かいところまで実は見ていないパターンがあります。
特に後者の場合、本人が具体的な事例を挙げて「この項目で基準2はおかしい。こういう活動に取り組んだんだから最低でも基準4にしてくれ」などと言ってきたときに、具体的な事例や評価表の本義から押し返せない。相手を黙らせるようなフィードバックができないことも、評価面談が揉める理由の一つだと思います。
なぜ適切にフィードバックできないのか
フィードバックの問題① 評価表の内容を理解していない
適切にフィードバックできない理由を、さらに分解して見ていきます。
まず、評価者自身が評価表の内容を一文一文理解しているでしょうか。全部に目を通し理解した上で、部下の今期の振る舞いがどこに当てはまるか、自信と確信を持って評価をつけましたか。
全体像を把握せず、だいたいこんなもんだろうとつけていると、部下が何か主張してきたときに、「いやいや、評価表のここにこう書いてあったでしょ」という反論はなかなかできません。「あなたが主張していることは評価表には入ってない」とも言えない。
評価表を熟知した上でフィードバックすれば、反論されても「いま主張していることが評価表のどこに照らしてアンフェアなのか、言ってみて」と言えます。評価者が評価表を理解していないのは問題です。
フィードバックの問題② 評価期間中の日常を観察していない
半期ごとの評価だったら6か月、1年だったら12か月、評価期間中の日常をしっかり観察していますか。「そう言われると…」という上司が多いと思います。普段から観察していないから、具体的な事例を持っていない。部下が「自分はできている」という事例を一つ二つ出したときに、「まだまだだ」と思っても、それに対抗できる具体的な事例を出せません。
フィードバックの問題③ 評価期間中に指導・教育していない
評価期間中に部下のできてないところに気づいたら、ちゃんとフィードバック・教育・指導しましたか。そのときは何も言わなかったのに、評価時になって「実はこういうところができていなかった」と不満を言われると、中国人部下でなくても「言えよ!」と思います。
「いつも見ていて、ずっと何も言わなかったのに、評価の段階になって低い点数をつけるってどういうこと? 不満があったんならそのときに言えばいいじゃない」という部下の気持ちもわからなくはないですよね。これではなかなか納得が得られない、あるいは反論を招いてしまいます。
フィードバックの問題④ 評価時に感覚でつけている
これらが積み重なり、「評価表が理解できてない」「評価期間中の観察ができていない」「教育・指導もしてない」となると、どうしても上司は感覚で評価をつけることになります。「よくやってるからA」「そこそこだからB」「このままでは困るからC」というように、先に評価ありきで、そこからディテールに持っていく。
これでは、評価に不満な部下から「なんで私がCなんですか」と言われても説明が難しいです。感覚的に「そこそこだからBね」「ちょっと物足りないからCにしたよ」では相手も納得できません。こういうところから衝突が生まれてしまいます。
フィードバックの問題⑤ 具体的・客観的に反論できない
ふわっと評価をつけてしまっていると、具体的・客観的な反論はできません。部下は自分に有利な材料をいくつか持っていて、それしか出さないわけですから、準備なしでは反論できない。評価の理由を聞かれて黙ってしまったり、「そうは言ってもなぁ」程度でお茶を濁そうとしても、それでは相手は引き下がらないです。
部下を納得させるには、相手が二つ事例を挙げたら、逆の事例を八つぐらい挙げることです。「*月にこんな問題があった」「*月に直接これを注意したね」「この件でお客様からお叱りを受けたよね」「同じことで同じお客様からもう一回お叱りを受けたね」。ここまで言えれば(特に「お叱りを受けた」というような事実は自分でも身に覚えがあるはず)、部下も自分はできていたと言い張れなくなります。
中国にはダメ元でタフにしたたかに交渉しようという人たちが多いので、このぐらいは反論できないとトラウマ級の面談になってしまいがちです。
この話、次回に続きます。待てない方は動画でどうぞ。