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娘達の涙

嫁が即時抗告をしてきて1ヵ月程経過したが日本はコロナ禍にある中で高等裁判所はもちろん各公共機関もほとんど機能していない状態となっていた。

唯一救いだったのは家庭裁判所だけは機能していたので5月上旬に離婚調停は開くことが出来た。

僕は4月に続いて5月も面会交流を宿泊有りで実施してほしいとお願いしたところ

「宿泊有りで面会交流をさせます」

との打診があった。

僕は即時抗告に向けて色々考えて頭がパンクしそうになりながらもとりあえずは娘に会える事で安堵した。

しかしもう一方では弁護士に相談は行く物の契約をするまでには至らなかった。

そして面会交流の当日、娘達はニコニコ笑顔で僕の元に帰ってきたのでギュッと抱きしめて実家に戻った。

娘達が連れ去られて7ヵ月僕はYouTubeなどで覚えた料理を娘達に振る舞う。

今回のメニューは「至高のハンバーグ」だった。

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娘も大喜びでハンバーグをいっぱい食べてくれた。

そして久しぶりに娘達とお風呂にも入れたし「パパと寝る〜」と2人共僕と寝てくれた。

幸せだった…しかしこれが毎日続くわけではない。また夜からは1人で寝て1人で過ごすと思うと悲しい気持ちになってきた。

次の日は少しだけ近所の公園で僕と娘達の3人で久しぶりの親子水入らずの時間を過ごした。

楽しかったのも束の間帰る時間がやってくる。父母も帰り際は涙ぐんでいた。そして車を発進させたその時…

娘達は大きな声で泣き出した。

それは聞いていて胸が痛く、辛い言葉だった。

僕は申し訳ないがこの事実を裁判所に伝える為に娘の泣いて訴えているところを録音した。

「ママに勝負に勝って…」

「ママ嫌…ママ嫌…」

「パパとお泊まりしたい…ダメ?」

一生懸命に説明して面会交流の時間内に嫁に引渡す事は出来たが僕は葛藤していた。

「僕の所に帰りたい事が娘の願いなら絶対に負けられない」

確かに子供はどっちの親も選べない。これが一般的な考えである。

しかし嫁が勝手に婚姻生活を投げ出し嫌がる娘を連れて別居して裁判をしてくださいと僕に言った以上絶対に勝ち負けはついてくる。

僕は母に娘達の泣いた録音を聞かせた、母は娘達の泣き声を聞いて泣いていた。

これまで母は「正直即時抗告ならそのまま弁護士なくてもいけるんじゃないか?」と提案していたが僕は母に

「絶対負けられないから弁護士さんにお願いするわ…」と言ったらコクリと頷いた。

そしてコロナも少しだけ落ち着き始めた5月の下旬に高等裁判所から答弁書が送られてきた。

              つづく




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