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読書日記「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」三國万里子

むっちゃん(仮名)は編み物をするのだっけ?

この本は編み物がすごく上手な人が書いたエッセイだよ。有名だからどこかで作品を見かけたことがあるかもしれない。どうしたらこんなにかわいくセンスの良いものを作れるんだろう?と思う。

わたしのお友だちで編み物の先生でもある人の作品もなかなかすごいです。すごくすごくかわいい。色合わせとか素材とかの選びかたにセンスがあるんだよねぇ。

そして、編み物ってさ、ふんわりとほほえみながら癒されるような空間でするようなイメージでいたんだけど、やってみると全然ちがうの!何目編んでるかまちがえないようにしないといけないし、何百目とかひたすら編むんだよ?修行なのかなと思うくらいだよ。

しかも編んでいる手元が早すぎて何をしてるかよくわからないんだよ!まったくクレイジーすぎて素敵だなーと思う。自分は向いてないことがよくわかったけど、先生と友達とおしゃべりしながら毛糸と一緒にすごす時間がすごく好きなんだ。

作家で編み物がすごく好きな人もいるよね。群ようこさん(かもめ食堂を書いた人)は一時期くるったように編み物をしていたけど、根をつめすぎて肩こりや頭痛がひどくなってきたからやめたと書いていたよ。群さんの本もエッセイもおもしろいから今度紹介するね。


この三國さん、ちょっと変わったところがある人だなとは思っていたんだけど、ここまでとは思わなくてすごく衝撃を受けたしもっと好きになった。静かなる狂気というのは強烈な魅力ですよね。

 知りたい。(中略)
 だめだめ、無理だ。だってこないだ「今日これから晴れるでしょうかね」って声をかけたら、「知らない」って言われた。「知らない」だよ?「晴れそうだね」とか、せめて「どうかな?」とかでもなくて。


昔の恋バナです。


 こんなものが好きなのか、(中略)
 煙はわたしの肺から血管に入って、全身をめぐる。これは、体に悪いんだろうな。でも(中略)同じ毒だ。そう考えるとうれしい。


世間話にものってきてくれないような関係性の人が吸っているタバコを自分も吸って、静かにうれしがっているのはやばい感じがするけど、ストーカーっぽい粘着質ではなく枕草子的な感じ。(わかりにくかったらごめん)でもちょっとこの狂気を感じてほしくて。そしてそのあとに出てくるお話とのコントラストを楽しんで欲しくて。ギャップっていいよね。


 ものにしても、人にしても、自分にその用意ができた時に、ようやく出会えるものではないかと思う。(中略)
 「これはわたしのもの」と直感した初めての指輪に、ある骨董屋で出会った時、わたしにはちょうどそれを買うための用意ができていた。


若いときに何となくむずむずして居心地わるく暮らしていたのはそういう理由だった気がしない?まだしっくりくる場所とか人、ものに出会っていなかったことからくる気持ち。


自分でそういうものを迎えに行けるようになってよかったよね。この「わたしのもの」かそうじゃないかという感覚はすごくある。流行っているとか人気だからとかじゃなくて「こういうの」という具体的なイメージすらないのに、ある。世の中にたくさんの物がある中で、ちょっとだけ出会える。だからすごく出かけるし、それをいつも探してる。


あと、三國さんの孤独への向き合い方がすごくて気合いが入っている。こんなにも長く、妥協せずに自分をポツンとした場所に置いておいたからこそ、今の彼女があるんだと思う。すごく感動したよ!


むっちゃんにもこの本をぜひ読んで欲しいよ!ちょっとわかる部分があると思うんだ。


今度いっしょに行く家具屋さんで「わたしのもの」に会えるといいね。そしてわたしがその瞬間に立ち合えたらうれしいな。


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