「メグレと若い女の死」小説と映画
昨年、クリスティーのポアロシリーズを読んでいるうちに読み返したくなったのが「メグレ警視シリーズ」でした。
調べてみるとほとんどが電子書籍でないと読めないみたいで、購入するかどうか躊躇していました。
新書のエッセイや論説だと電子書籍でも構わないのですが、小説や物語だと読みにくく感じてしまうのです(個人の感想です)。
そう思っていたら、先月メグレシリーズの新訳が出ているのを見つけました。
後書きを読んで知ったのですが、メグレ警視の人物像って巨漢なんですね。
学生時代からずっと精悍な年輩のパリジェンヌをイメージしてたのでビックリ( ・_・;)
確かによく飲んで食べていましたが、これだけ精力的に捜査を陣頭指揮しているのだから、と解釈していました。
今まで読んだメグレシリーズにそんな描写あったぁ?
それほどシリーズを読み漁ったわけではないのですが・・・・・・
小説が面白かったので、帯にある映画にも興味が湧きます。
映画を見ると、メグレは精力的に陣頭指揮するどころか、鈍重で息切らしながらの捜査。
イメージじゃない~と不満に思ったり・・・・・・!
ところがプログラムを読むと、メグレ警視の人物像というのは巨漢で鈍重・・・・!!
解説には鈍いのが特徴とまで記されています・・・・・!!!
まったく違う人物像のまま半世紀以上の誤解していたなんて!!
私が読んだいた頃は、丁度テレビで目暮警視シリーズとして愛川欽也さんが演じていらっしゃいました。
私のイメージは精悍で精力的なメグレですから、愛川欽也さんの演じるもっさりした目暮が気に入らなかったのですが「原作のイメージだったのか」と驚いています(°0°)
いや、愛川さんでは巨漢とは程遠いのですがw
ここから先は原作と映画のネタバレとも関係しますので、「小説なり映画なりに興味がある」「読んでみたい」「見てみたい」という方は読むのをご遠慮ください。
原作の面白さというのは、身元不明の被害女性、その影の薄さ――事件当日の目撃情報の少なさだけでなく捜査していく中で日常的に目立たない存在感のなさ――更には故郷を後にパリに出て来たものの、馴染めないまま大都会にしがみ続ける謎。
そういう被害者の人物像に迫ってくことで、事件のリアリティに近づいていく過程が一つ。
もう一つは、ロニョン警部という無愛想でくたびれきった刑事が、「どうせ自分なんか」と自己肯定感がないままに、メグレ警視のコントロールの範囲からはみ出たまま、連絡も滞りがちになり、捜査の先々で少し先んじて出くわしたり、メグレ警視が後を追う形になったりしながらの、一種の競い合いになるところです。
この二つが絶妙に絡みながら物語は進行していくのです。
映画はロニョン警部の部分は完全にカットしています。
更に被害者女性の背景は全く違うものにされていて、原作で衝撃的だった部分もなくなり、感じようによってはありがちとも思える話になっています。
映画のストーリーの核心部分は上流のスキャンダラスな話なのですが、原作は全然違う話なのです。
・・・・・・「身元不明の若い女性がパリの路上で殺されて発見された」という以外は原作とは無関係のストーリーです。
映画を見ていて「えっ」という驚きで一杯で、原作の面白味が活かされていないようで残念な気持ちにも成りました。
ただ、これは原作を知っているからで、原作を知らずに見れば面白いのかな?と不思議な印象を受けました。
映像で2時間に収める以上、描写できることってこんなものなのかなぁ、とか考えさせられました。
個人的な希望としては「メグレ警視シリーズ」の新訳を続けて出して欲しいです。
こんな面白い小説が知られなくなっていくのは残念です。