【HEART STATION「Beautiful World」宇多田ヒカル歌詞考察】
《歌詞》
※歌詞の段落と考察の段落を対応させています。
《考察》
冒頭の「It's only love」から始まる歌詞からは純粋なそして究極的な世界が始まる予感が漂っている。
もしも願い一つだけ叶うなら自分なら何を願うだろうか。歌詞には想いを寄せている君と夢を共有したいという願い、そしてそれが美しい世界だということが描かれている。(※ちなみに二人で妄想の世界を共有する事をフランス語でfolie à deuxという)少年の君への純粋な愛があることが美しいということを少年自身はまだ気づいていない。
当の少年自身は自分自身の純粋という魅力に気づくことができずに自分自身を許し、好きになることができないでいる。自分自身のアイデンティティを他者にそれも空想の世界に築いている。自分という存在を他者に委ねて生きてきた少年は自分が欲しいものが分からないでいる。自分と向き合う事から逃げてきたのだろうか、承認欲求を満たす事でしか自分の存在を感じられない中途半端な自分の存在にふと気づき涙を流す。
そんな何が欲しいか分からないでいた少年だったが、君に会いたいという欲望があることに気づく。何か理由があるわけでもない、ただ本能で会いたいという気持ちが吐露される。「それでいいけど」とある。これは誰にも打ち明けず、自分の心の中だけに秘めている気持ち。ただ相手に伝える勇気はない。これが美しく純粋な世界だと宇多田さんは言っているのではないだろうか。
なぜ願いなのか。それは自分の素直な気持ちを君に直接伝える勇気はない。でも、このやり場のない気持ちをなんとか成就させたい。その苦しい葛藤の中でたどり着いた答えが願いなのではないか。そしていつかその願いを本当に叶える時が来る、そう願う事で自分の存在意義を見出すことに成功する。
「どんなことでもやってみて 損をしたって 少し経験値上がる」とある。これはこの少年、そしてリスナーに向けたメッセージであると思う。そのメッセージはこうだ。「その願い、願いのままにするんじゃなくて、本当に叶えてみない?」
そんな勇気ある一歩を踏み出そうとしているある少年の姿は当然ではあるが新聞は報じない。新聞あるいは社会にとっては重要なものとはなんだろうか。相手のことが気になり、連絡するも本心はまだ伝えられずにいる。まだ自己肯定感も低い。
自分が死ぬまでもしくは自分だけの空想的な世界、わがままで純粋な世界を打ち破るまで会えないのなら君の側で眠らせてと言い、また空想的な世界へ逆戻りしている。最初と違うのは「どんな場所でも結構」と言い、「どんな場所でもいいよ」よりも切迫した思いが読み取れる。そんな気持ちの矛盾が気分のムラであり、中途半端な思春期の少年を連想させる。
そんな気分のムラの中でも唯一変わらないのが君の側にいたい、そして夢を共有したいという純粋な願いである。
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