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赤い屋根と黒い屋根 -第1章-⑵
第1章:赤い屋根の家
霞(かすみ)が通う白菊幼稚園は、教会の隣に併設された、静かで落ち着いた雰囲気の幼稚園だった。
幼稚園に通う日常は、霞にとって唯一の安らぎの時間だった。
友達と遊ぶ楽しさは、家での恐怖を一時的に忘れさせてくれた。
砂場で一人遊びをすることが多かった霞だが、嫌われているわけではなく、友達に誘われれば一緒に遊ぶこともあった。
彼は人の輪に入るのが苦手だった。
みんなが集まって遊ぶ時間になると、少し距離を置いて見守ることが多かった。例えば、砂場でみんなが一緒にお城を作っている時、彼は少し離れた場所で一人でトンネルを掘っていた。絵を描く時間には、みんなと違う端っこの席に座り、静かに絵を描いていた。
家庭での緊張と恐怖が、彼を引っ込み思案にさせていたのだ。集団の中での賑やかさや騒がしさが苦手で、静かに一人で過ごす時間を好んでいた。
ある日、幼稚園の友達が遊びに来ることになった。
霞は内心、家に来ることを恐れていたが、友達との楽しい時間を期待していた。
友達は二人で、彼と一緒に砂場で遊ぶことを楽しみにしている様子だった。霞もまた、その期待に応えようと、心の中で決意を固めた。
「ねぇ、霞。今日は何して遊ぶ?」
友達の一人が明るい声で尋ねた。
「うん、砂場でお城を作ろうか。」
霞は少し緊張しながらも、笑顔を見せた。
三人は一緒に砂場で遊び、無邪気に笑い合った。お城を作り、トンネルを掘り、お互いに助け合いながら楽しんでいた。
しかし、帰り際、友達の一人がふと口にした言葉が霞の心を刺した。
「霞んちの赤い屋根、変な色だね。なんでそんな色にしたの?」
その無神経な一言に、霞は言葉を失った。
彼の心は一瞬で凍りつき、ただ黙って俯きながら、友達が帰るのを待った。友達は特に悪気はなかったが、その一言が霞の心に深い傷を残した。
家に帰る道すがら、彼の心はその言葉に囚われ続けた。
「変な色って、どうしてそんなことを言うんだろう?」
霞は心の中で繰り返した。その言葉が彼にとっては屈辱的であり、自分の家が他人から見て異質であることが苦痛だった。
赤い屋根は、彼にとって家族と過ごす大切な場所の象徴だったからこそ、その言葉はより深く心に突き刺さった。
家に帰ると、霞は真っ先に恵理子(えりこ)の元に駆け寄った。彼の目には涙が浮かんでいた。
「お母さん、どうして僕たちの家はこんなに変な色なんだろう?」霞の声は震えていた。
恵理子は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔を見せた。
「霞、どうしたの?何があったの?」
「友達が…友達が、僕たちの家の屋根が変な色だって。なんで僕たちの家だけこんな色なの?」
霞の涙はぽろぽろと零れ落ち、彼の小さな体は震えていた。恵理子は霞をそっと抱きしめ、優しく背中を撫でた。
「霞、赤い屋根はとても素敵な色よ。お友達のお家とは違うから特別なの。それに、赤い色は元気をくれる色なのよ。」
「でも、お母さん、友達が変だって言ったんだ。僕たちの家が変な色だって…どうして僕たちだけこんな風に言われるの?」
霞の声は悲しみに満ちていた。
恵理子は少し考え込んだ後、優しく霞の肩に手を置いた。
「お友達は、きっと珍しいからそう感じただけよ。色んな考えのお友達がいるかね。でもね、霞、自分の家を好きでいること、それが一番大切なの。」
霞は涙を拭いながら、母の言葉を聞いて少しずつ心が落ち着いていくのを感じた。母親の言葉はいつも彼を安心させ、包み込んでくれる。恵理子の優しさに包まれながら、霞は再び赤い屋根の家を愛することができるようになった。
恵理子は霞の顔を見つめ、さらに続けた。
「霞、これから大きくなっていくと、色んなお友達と出会って、色んなお話をするようになるわ。みんなが、同じことを考えているとは限らないの。でもね、君の心の中にある大切なものを守り続けてほしい。」
「お母さん…」
恵理子は微笑みながら、さらに優しい声で語りかけた。
「霞、人を傷つけるようなことはしないでね。優しい言葉を使って、みんなが幸せになれるようにしようね。」
霞は母の言葉に深く頷いた。彼の心の中には、少しずつ新たな決意が芽生え始めていた。自分が大切に思うものを守る強さと、他人を傷つけない優しさ。その両方を持つことが、これからの彼の人生において大切な指針となるだろう。
恵理子は霞をそっと抱きしめ、優しく囁いた。
「大丈夫よ、霞。お母さんはいつも君の味方だから。君がどんなに辛い時でも、いつもそばにいるからね。」
その言葉に、霞は再び涙を流しながらも、心の中に温かいものが広がっていくのを感じた。
母親の愛情と教えを胸に、彼はこれからの人生を歩んでいく力を少しずつ取り戻していくのだった。
>つづく・・・