仔犬が我が家にやってきた
断酒20年のヨウスケです。
「酒を止めてまともな人生を送りたい」
そう思うことが多くなってきましたが、そんな思いとは逆に、飲み出したら破壊的な連続飲酒になることも多くなってきました。
そんなに飲めるお金も無かったので飲むのはいつも安い日本酒。本当はビールが飲みたいのですが、酔い優先となると悪い酒になるのは分かっていてもこの選択になります。
タバコも吸っていましたが、タバコ代よりも酒代優先となり、タバコは灰皿のタバコ、いわゆるシケモクを溜めておいてそれを吸うという情けない有様でした。
母親がどこかから断酒会やA.A.の本を仕入れて来て、階段の登り口にポンと置いています。
本を読むのは嫌いではないし、時間だけはあったのでペラペラとページをめくってみます。
結局完全に酒を止めてしまうしか方法はないんだろうか…?
少しくらいは飲めないもんだろうか。例外はどこかにないものか探してみますが、残念ながら完全断酒しかアルコール依存症から立ち直るのは方法は無いようです。
苦しい時は本心から酒を止めて楽になりたいと思っていても、少し調子が良くなってくると、まだ少しくらい飲めないものかと虫のいいことを考えています。
断酒会には「断酒の誓い」というものがあり、その1番最初に
私たちは酒に対して無力であり、自分ひとりの力だけではどうにもならなかったことを認めます。
という一文があります。
また、「A.A.の12のステップ」の1番最初にも
私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
と、共通して
酒やアルコールに対して無力であると認めた。
という文面があり、当時の私にはどうしてもそれを受け入れることができませんでした。
自分はアルコール依存症であることは否定はしないが、「酒に対して無力」というのは酒に負けているという気がして、どうしてもその言葉を素直に受け入れる気持ちにはなりません。
むしろ無力どころか自分の意思で飲んでるんだ。本気で止めようと思ったら止められる。
その証拠に1ヶ月くらいなら何回か飲まなかったこともある。
などと変な意地を張っていました。
そろそろ本気で止めなければいけないのは分かっているけど、まだ酒に未練が残っている。もしかしたら上手に飲めるようになるかもしれない...。
どうせ止めるならとことん飲んで、もうこれでいいと思えるところで止めたいと思ったりもしていました。
この頃、我が家に仔犬が迷い込んで来ました。捨て犬のようです。
父の朝の散歩の時にずっと付いてくるので、仕方なく家で飼うことになりました。
家には猫がすでに居たのでどうなるかと思いましたが、犬の方は猫をお姉ちゃんだと思ってすぐに仲良くなりました。
すでに近所の小学生の間でこの犬は人気犬?になっていて、子供達が学校帰りに家の前まで来て「コロ」と呼んでいるので、そのままこの犬の名前は「コロ」となりました(笑)。
邪気がなく、天真爛漫な犬でアルコールで荒んだ私の心に温かさと癒しを与えてくれました。
日雇い派遣の現場が無い夕方などはコロの散歩は私の仕事となりました。
アクエリアスの空のペットボトルに日本酒を入れて持ち歩き、それを飲みながらの川の土手を散歩します。
夕方になると遠くから行政無線のチャイムで「夕焼け小焼け」のメロディが流れてきます。
ふと、自分の境遇が情けなく思えてきて、涙が出てきました。
普通の人間はまだ仕事してる時間だな…。俺は1日酒を飲んで犬の散歩だけが仕事…。
コロは無邪気にその辺をクンクン臭っています。
「さぁコロ、もう帰ろ...」
アクエリアスのペットボトルに入った日本酒を一口飲んで、小さい声で口ずさみながら家の方に歩きだしました。
帰ってゆっくり飲もう…。