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2回目の精神病院への入院
断酒20年のヨウスケです。
日雇い派遣の仕事というのは自分が仕事に行きたい日だけ予約して、その日に希望の仕事があれば行くという流れでした。
ある程度仕事に慣れてきたころ、私を指名してくれるお客さんも出てきて、それなりにやり甲斐も感じていました。
しかし、この頃からほどほどに飲めてる時期と破壊的に飲む時期の落差が激しくなって来ました。
登録していた派遣会社はひと月に半分くらい仕事があればいい方だったので、日銭が入って次の日に仕事なければ当たり前のように飲みっぱなしになります。
現場に出ていれば収入もあり、自分がまだ必要とされている感覚も得られますが、一人部屋で飲んでいると32歳にもなって定職にもつけず、親と同居、しかも、精神病院に入院してもまだ懲りずに飲んでいる。また、結婚など夢また夢という厳しい現実に向き合うと苦しくて、酒の量もますます増えます。
日雇い派遣の給料など知れているので、好物のビールよりは早く酔える方を選び、飲むのは安い日本酒のパック酒がメインになります。
合成酒という当時一升パックで500円を切るくらいの値段で売っていたと記憶してますが、悪酔い必至の安酒を良く飲みました。
家族も数少なくなった友達も心配してくれましたが、
「アルコール依存症は酒が止められない病気なんだから酒を飲んで何がおかしい?」
という無茶苦茶な論理で自分の酒を正当化?していました。
とはいえ、飲めるお金は限られているので、また現場に出ては日銭を稼いで飲むという生活を繰り返していました。
そんな状態で仕事になっていたのか疑問に思う人もいるかと思いますが、三時間くらい短い時間の展示会などの搬入、搬出の力仕事がメインでしたので何とかなっていました。
日雇い派遣は訳のありそうな人やフリーターみたいな人が多く、良く一緒になる人間とも親しい関係は作らないようにしていました。自分のことももちろん詳しく話すこともなく、寂しいようで気楽な距離での人間関係をつくっていました。
そんな毎日で、仕事の無い日は一人部屋で安い合成酒を飲みながら
「何で俺はこんなに飲むようになったんだろう?」
「何か原因があってこんなに飲まざるを得ないに違いない」
「その原因がはっきりすればアルコールも止まるかもしれない」
とずっと考えていました。
しかし、原因を見つけるより前に
「アルコールを飲むこと自体が問題の原因になっている」
ことに気がつくまでは、もう少しの時間が必要でした。
こんな生活も一年と持たず、その年の年末に、ほとんど食事をとらずに起きている時間はずっと飲みっ放しの生活を二週間ほど続けた末、精神病院に舞い戻ってくるはめになってしまいました。
これも全く記憶に無いのですが、入院前に自宅で酔いつぶれて寝ていた時に痙攣を起こしたようで、その姿を見た両親も救急車を呼ぼうかと心配したそうです。
我が息子は落ちるところまで落ちてしまったかと悲しんだことかと思います。
痙攣もある程度したら落ち着き、私は何事も無かったかのように目を覚ましてケロッとしていたようです。
退院後に大酒を飲んで通院での診察の時に院長に釘を刺されていた
「今度やったら(大酒を飲んだら)アルコール性のてんかんを起こすぞ」
と言われてたことがとうとう現実となりました…。
二度目の精神病院への入院、そして現在に至るまでの最後の入院生活が始まります。