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ヨウスケ アメリカへ (その2)
断酒20年のヨウスケです。
一カ月の予定のアメリカ滞在も残り一週間ほどになりました。
楽しかったリノから帰って来て、最後の一週間はおばさんの知人でロサンゼルスに住む日系人の男性のところに泊まることになりました。全く知らない方です。
グレイハウンドバスのチケット、着いたらここに泊まれと書かれたメモを渡されて、単身まずはサンフランシスコに向かいます。
お約束なのかバスもかなり遅れて到着。ビビりながら空いてる席に座ります。次の停留所で汚くて太い白人のおっさんが乗ってきて、なぜか私の横に座ります。
私のスペースまで平気で侵入して来ます。
体臭がすごい。しかも酒臭い。
泥酔している様子でイビキをかいて眠り出しました。
悪夢だ。
臭え…。潰されそう…。
何より怖い。
サンフランシスコまでこの状態かと観念してましたが、次の停留所で運転手がそのおっさんのところまで来て何やら注意してました。
おっさんは別の席に移動したのか、あるいは放り出されたのか分かりませんが、それから姿は見えなくなりました。
助かった。
アメリカに来て3週間、おばさん、息子さん夫婦と行動をともにしていたのもあり、言葉にそんなに困ったこともなく、怖い思いもしたことはありませんでした。
強いて言えばおばさんの家の近くを散歩している時に間違ってハイウェイに歩いて入ってしまい、そのまま次の出口まで歩いたことがありますが、特に危ない目にも遭ってません。
(帰っておばさんに話すとえらく怒られましたが…)
バスは無事サンフランシスコに到着。そのままタクシーに乗って、渡されたメモにあるYMCAホテルに。
トイレもシャワーも供用。壁も薄く隣の部屋からイビキも聞こえてくる…。部屋の扉もその気になれば壊して中に入ることくらい容易にできそう。
外に出るのも怖いので食事もせず部屋で朝を待ちます。もちろん眠れません。
次の日、ロサンゼルスまで飛行機で飛び、最後の1週間お世話になる日系二世のSさんと無事会うことができました。
Sさんは50代後半くらいに見えるどちらかというと無愛想な方でした。日本語は話せるので助かりますが、結局アメリカまで来て英会話は全く上達しませんでした。
Sさんの住んでいる家は当時ロサンゼルスでも1番治安の悪い地区で、夜中に警察のヘリがバタバタと飛んでいます。斜め向かいの家ではヒスパニック系のギャングが車のボンネットをテーブルにして昼間からビールを飲んでます。
すごいところに来てしまった。
しかしおばさん知っててここに私を紹介したんだろうか…。
最後にリアルアメリカを見て帰れということなのか?
いや、初日に部屋で煙草吸ったことまだ怒っているんだろうか…。
色々深読みしてしまいますが、真相は謎のままです。
Sさんにフィッシャーマンズワーフに連れて行ってもらいました。アメリカに来て初めてビールを飲みました。
バドワイザーの生
うめぇ。
出してもらっているので大ジョッキ二杯くらいで止めておきましたが、もちろん飲み足りません。
外を歩いていると一目で日本人と分かる若者が座り込んで物乞いしている姿が目に入りました。
同じ日本人として悲しいような、情けないような、腹立たしいような、何とも言えない複雑な気持ちになりました。
彼も夢を抱いてこの地に来たのだろ
か?
何か事情があって帰るにも帰れなくなってしまったんだろうか?
ロスではそのほかにも韓国系の家族を紹介されて、その家でのピザパーティーで缶ビールを2、3本飲みました。
結局アメリカで飲んだのはその2日だけでした。
そして日にちだけはあっという間に過ぎていき、帰国の日になってしまいました。
Sさんにロサンゼルス空港まで送っていただいて、お世話になったお礼を言いお別れしました。
夢にまで見たアメリカ。
アメリカに行けば何かが変わるかもしれないという一縷の希望とともにここに来たが、何も変わらなかった気がする。
フィッシャーマンズワーフで見たあの彼も同じような気持ちなのかもしれない。
おばさんに対しても失意の中、投げやりな態度だっかもしれない。あちこちに連れて行ってくれたり、お金も出してもらったりしたのに感謝もろくにできていなかった気もする。
自分の中ですっきりしない気持ちを抱えたまま、行きと同じユナイテッド航空の狭いエコノミー席に一人座る。
旅の思い出を語り合う相手もいない。
「さぁ、帰ろう」