かわいいとは何か
「かわいい」ってなんだろう。私にとって「かわいい」とはすなわちサンリオピューロランドである。ピューロランドに行くと、「かわいい」「なかよく」「思いやり」のスリーハーツがいかに大切かを訴えてくるから。あんなに「かわいい」を聞く場面はなかなかない。
かわいいについて議論すると、個人差がとても大きいことが分かる。自分にとってはかわいくても、他人にとってはかわいくないことがよくある。かわいいの定義は難しい。そんな中で、以下の記事を見つけた。
端的にまとまっていて分かりやすい。要約すると以下の通り。
cuteは対象の属性である。
cuteは知覚するものである。
cuteはベビースキーマのように正解がある。
かわいいは自分の感情である
かわいいは感じるものである。
かわいいには正解がない。
かわいいは幼いとは異なる概念である。
かわいいは、養育や保護というよりも、対象に近づいてそばにいたいという気持ち(接近動機づけ)と結びついている。
かわいいは快であり、社会的交流を促進する感情である。
ある対象をかわいいと感じるかどうかは、その対象と自分との関係性によって変わる。
なるほど。お近づきになりたい、という気持ちが「かわいい」である、と定義している。かわいい女の子というのは、お近づきになりたい女の子。ギャップがかわいい女の子というのは、今まで近づきがたいオーラを感じていたけれど、ギャップを見たら親近感がわいてお近づきになりたくなった女の子。
もちろん赤ちゃんだってかわいい。それはベビースキーマのようにcuteの要素を備えているから、というのもあるし、赤ちゃんを庇護したいという欲求もある。でも、そういう背景を踏まえた上で、だから赤ちゃんに近づきたいな、と感じる気持ちをかわいいと定義している。
なかなか良い定義である。
じゃあ、なんで近づきたいと思ったのかな、と考えると、記事では社会的交流を促進する感情だと書かれている。人間は社会性の動物だし、交流することで生存確率を高めようとする。それは情報を交換するためであったり、仲間と連携するためであったり、パートナーを見つけるためであったり、いろんな背景があるだろう。とにかく、一匹狼でいるより、集団で群れている方が人間は有利だから、それを促す快の情動が発生するように進化したという考え方はよく分かる。それがかわいいの正体であると。
では、「かわいい」を作ることはできるのか?
つまり、「近づきたい」と思われたい、注目してもらいたい、というのが「かわいくなりたい」ということだろう。どういう人になれば、近づいてもらえるだろうか。
(1) 外見がベビースキーマのように庇護欲をそそるものであれば、自然と近づきたいと思ってもらえるだろう。
(2) 行動があぶなっかしい、おっちょこちょい、見ていてちょっと心配になる感じだと、近づきたいと思ってもらえるだろう。
(3) 普段は毅然とした振る舞いをしているのに、あなたの前でだけちょっと気の抜けたところを見せると、あなたには心を許したと感じられ、近づきたいと思ってもらえるだろう。
(4) ひとりぼっちで寂しそうなあなたに声をかけてあげたら、あなたは会話する仲間に入れてもらえると感じて、近づきたいと思ってもらえるだろう。
(5) 街中でレッドブルの試供品を配っていたら、近づきたいと思ってもらえるだろう。
(6) 夜遅くに美味しそうなラーメンを作っていいにおいを出しておけば、近づきたいと思ってもらえるだろう。
(1)~(2)は、みんなに対してかわいいと思ってもらえることだったのに、(3)~(4)は一人に対してかわいいと思ってもらえることになってしまった。そして(5)~(6)にいたっては別にかわいくない。
最初の引用記事の定義を振り返ると「対象に近づいてそばにいたい気持ち」とあるので、「そばにいたい」要素も、かわいいにとっては重要だということが分かる。(5)はレッドブルの試供品をもらったらそばにいる必要は無いし、(6)はラーメンを食べたいのであって、あなたのそばにいたいわけではない。
(2)で危なっかしいが度を超えてリスカするメンヘラになった場合、多くの人は「そばにいたい」と思えないからかわいくないけど、オレが何とかしてあげなきゃって感じて「そばにいたい」と思う人ならかわいいのかもしれない。そんな違い。
結論:かわいい=お近づきになりたい+そばにいたい
(5)で毎日お金くれるような人だったら、近づきたいしそばにいたいから、かわいくなるのだろうか。かわいくなるのかもしれない。かわいいは金で買える。ちょっと実証してみたいので、誰か私に毎日お金をください。
でも、何か裏があるんだろうな、とか勘繰って無条件でお金を素直に受け取れずハウに呪い殺されるから、結局そばにいたくなくなるのかもしれない。難しいな。