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すべては1人から始まる――ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力
これまでコミュニティ関連の本として、「謙虚なリーダーシップ」「People Powered」などを読んできましたが、その流れでこちらのソース原理という本を紹介していただきました。今回はPart 1を読んで面白かったところをピックアップします。
ソースって何?
ソースというのはリーダーみたいなもので、コミュニティを最初につくりだした人、そのコミュニティに対するイニシアチブを持つ人です。
ソースという役割は、私たちが普段から馴染んでいる組織の公式な役職や役割とは違う。誰がその役割を担うかを意思決定することはできない。これは自然発生的な役割であり、イニシアチブの始まりの物語を語ったときに察知され認められる類のものだ。ソースとは、傷つくリスクを負いながら最初の一歩を踏み出した創業者のことだ(あるいは、その役割を継承した人物のことでもある)。そのときソースは個人的なリスクを取っていることから、イニシアチブに対して自然なオーサーシップやつながりが生まれる。
何をするにしても、最初に口火を切って「始めよう」と声をかける人がいるはずです。声をあげる人は当然、誰も賛同してくれない、批判されるなどのリスクを負うわけですから、そこには決して代替できないパワーが宿るのです。それがソースです。
会社によっては共同代表者をおいて2人で事業を始めました、という形をとることもありますが、そんな2人が両方ともソースになることはなく、よく観察すれば必ずどちらか1人だけが真のソースになっているそうです。
ソースってつまりカリスマリーダーなの?
ソース原理によくある誤解は、「結局は、ソースが最大権力を持つトップダウンのヒエラルキーに戻っているだけでは?」というものです。「ソースは1人だけ」という表現に対してこのような反応が生まれやすいのですが、本書でも繰り返し説明されるように、ソース原理が本当にうまく機能しているイニシアチブでは、そこにいる1人ひとりの人生の旅路が尊重されると同時に、ソースが描くビジョンに向かって心から貢献しているという感覚を抱けるようになるはずです。
ソースとカリスマリーダーは違うそうです。ソースはコミュニティの代表ですが、仲間とともに協力して目標に向かっていく、ティール組織のような進化型組織の代表なのだそうです。
トップダウン型は、リーダーのカリスマ性やビジョンの力で組織を牽引し、パワフルな実行力を兼ね備えています。しかし、上からの押しつけが過剰になるとメンバーは疲弊しやすくなる可能性もあります。また、リーダーのカリスマ性ゆえに、現場の1人ひとりの創造性が発揮されづらくなるかもしれません。そのため、とくに変化が激しい時代にトップのリーダーがうまく適応できなくなってしまうと、その組織から新しいイノベーションが生まれづらくなる可能性もあります。結果として、時代に取り残される組織も生まれてきます。
ボトムアップ・分散型の組織運営は、多様性を大切にする人間らしいアプローチであり、そこで働くメンバーもやりがいを感じ、人間関係を大切にします。心理的安全性を重視し、職場で感じる思いや問題意識も共有しやすくなるでしょう。しかし、多様な価値観を受け入れようとしすぎると、会議が延々と続いてなかなか意見がまとまらないという状況が生まれやすくなります。また、強い思いで事業を引っ張ろうとする人が出にくくなるため、結果として大きなインパクトを生み出せない、小粒な活動に留まってしまうこともよく見られます。
いま現れようとしている「進化型組織」「生命体組織」と呼ばれる新しい潮流は、そのトップダウンとボトムアップの両方を含みつつも超えるような形態です。近年は「ティール組織」「ホラクラシー」「ソシオクラシー」など体系化されたモデルや方法論が紹介されるようになり、世界中で実践する組織が増えています。
トップダウン型のカリスマリーダーに限界が来ているという話はこれまでにもありましたが、「謙虚なリーダーシップ」にあったようなボトムアップ型の組織でも、やはり成果が出にくい。そんな中、進化型のティール組織を目指すときに必要なのがソースです。
ティール組織ってボトムアップ型じゃないの?
ティール組織によくある誤解で最も多いのが「ルールや階層がほとんどないフラットな組織」というものです。実は、その理解はどちらかというとグリーン(多元型)組織に近いものです。グリーン組織とはティール組織のモデルでは1つ前の段階とされ、組織の文化とそこにいるメンバーの価値観を尊重するあり方です。
ティール組織に共感する人には、従来型の組織でネガティブな経験をしたために、過剰にヒエラルキーを避けて分散型を求めてしまう人もいます。しかしそこでは、「グリーンの罠」と言われるような、意見を聞きすぎて意思決定できない、あるいはつぎはぎや妥協が多くインパクトの弱いアイデアしか生まれないといった状況に陥る組織も見られます。
しかし、成功する進化型組織のほとんどは、役職によるヒエラルキーはなくても、ソース原理でいうクリエイティブ・ヒエラルキーのような力関係や構造が存在しています。
ティール組織でも全体を引っ張るリーダーが必要で、それこそがソースだと思います。そしてソースがコミュニティを運営する上で便利なハウツーが「People Powered」に書かれていたのだと思います。
進化型組織ではむしろ、個人のパーパスと組織のパーパスとのつながりをつくることを重視しており、まずは1人ひとりが「何のために働くのか?」を常に探求し、そのうえで「私たちは何者か?」という組織のパーパスを探求していきます。1人ひとりが自分の人生のソースであり、ビジョンも個人からしか生まれないと捉えているからです。
私たち一人ひとりは、少なくとも自分の人生という物語においては主人公なのです。まずは自分の人生のイニシアチブをとっていかないといけませんね。
イニシアチブって何?
直訳すると「主導権」みたいな意味ですが、ソース原理の中ではもう少し意味のある言葉として定義されています。
イニシアチブとは、アイデアが最初の一歩を踏み出してから、実現していく一連のプロセスのことだ。ソースはそのイニシアチブが何を必要としているかを直観的に感じることができるし、〈オーサーシップ〉(自分がこのイニシアチブの執筆者・表現者であるという感覚)を自然と持っている。しかし、それはソースが全能の独裁者であるとか、英雄的な起業家だという意味ではない。ソースは他の人に参加してもらう必要があるため、指示命令をする役割を抑え、誰より聞き役に回る必要がある。
イニシアチブとはすでに述べたとおり、何かのアイデアを実現するプロセスのことだ。アイデアがどこから始まっているか、明確な線引きはない。遠い過去の経験から受けた、さまざまな影響やインスピレーションから形作られるものだからだ。しかし、あるとき、誰かがそのアイデアを実現しようと最初の一歩を踏み出す。それは、社会科学者で本も出版しているブレネー・ブラウンが「不確実性とリスクと感情の露出」と語るような、不確かな状況のなかで自分の弱さをさらしていく行為だ。そこには失敗、恥、喪失、失望、あるいは拒絶などのリスクがあるときに抱くような感覚を伴うものだ。
アイデアとは違い、イニシアチブには始まりがある。可能性の領域にしか存在しないアイデアの時点と、そのすぐあとの、物事を始めた時点──イニシアチブを立ち上げた瞬間──があるというわけだ。
会社でいえば、社長がソースかもしれません。でも、社内のとある商品プロジェクトをあなたが最初に提案したのであれば、あなたはそのプロジェクトのソースなわけです。あなたは会社という大きな組織の中ではいち参加者ですが、その中で商品化プロジェクトを成功させるためにどうすればいいか、イニシアチブをもって考えていきます。周りの人の意見もしっかり聞くし、社長とも話し合うでしょう。ソースとソースが協力して己のイニシアチブを推進していく、まさにそれが進化型のティール組織なのです。
世代交代のとき
ソースがいつまでも力強くみんなを引っ張っていけるわけではなく、やはり時間とともに終わりがやってきます。そのときは、ソースの役割をきちんと次世代に継承する必要があります。ソースは一子相伝なので、誰かこの人に受け渡す、と明確に決めないといけないようです。きちんとソースを継承しないまま組織を去ってしまうと、残された組織は途端にガタガタになって瓦解してしまうのだそうです。
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ソースが「やり切った」と感じて転換点が来ると、そこでソースの継承がおこなわれ、次世代のイニシアチブとして新たな円弧が始まるか、プロセスが閉じられてエネルギーとリソースが解放されてまた次のイニシアチブが始まる。
組織に振り回されるな
あなたの所属している組織はよい組織ですか? もっとよい組織に転職したいと思いますか? ティール組織のような進化型組織に入れば、もっといい人生が歩めると思うんだけどなぁ。
組織とは、私たちの想像から成り立つものだ。客観的な現実に存在する実体というよりも、物語である。概念はもう少し軽く受け止めたほうがいい。組織を尊重するがゆえに個人のビジョンや願いが押さえつけられてしまうと、自分の代わりにビジョンや願いを組織に実現してもらおうと考えるようになる。その結果、どんなにパーパス志向の組織であったとしても、混乱や、不満や、権力闘争が生じる。
組織で働く1人ひとりが自己啓発に取り組み、自分の深い欲求を見つめてエゴをコントロールできるなら、こうした物語も役立つかもしれない。しかし、実際にはすべての人が完全なる悟りを開いた聖人君子になれるわけではない!ほかにも、メンバー全員の満足を目指すと、すべてが薄まってしまい、イニシアチブからエネルギーが失われる可能性がある。このパラダイムには、全員が組織のパーパスへと深く共感しすぎることで、逆に1人ひとりが自分自身の人生における天職を見失ってしまうというリスクがある。
結局のところ、自分の人生のソースは自分であって、自分のビジョンを所属組織に託すことはできないのです。カリスマへの自己喪失の欲求なんて、逃避でしかないんです。所属する組織も、終身雇用で永続的に身をささげるものではなく、変化するパーパスに合わせてどんどん変えていくのです。そうやって、人生のイニシアチブを自分でとっていくのです。
関連note
トップダウン型のカリスマ
ボトムアップ型の謙虚なリーダーシップ
People Powered