7時27分に捧げる祈り
プロのアスリートは、試合前に自分の調子を万全にするためのルーティーンを持っている、という話を聞いたことがあります。特に科学的に意味があるわけではないけれど、なんとなく心が落ち着いて、スッと集中できる、そんな準備運動みたいな動作です。
人間は、自分の心を操作するのが苦手です。緊張しないように、リラックスしよう、と考えたところで、ドキドキは止まりません。怒らないようにしよう、6秒数えて我慢しよう、と思ったところで怒りは収まりません。でも、大きく息を吸って、ゆっくり吐く、深呼吸をすると不思議と落ち着いたりしますよね。
私たちは心を落ち着けることはできませんが、心が落ち着いた時の動作を真似ることはできます。ゆったりした呼吸で、目をつむって、大きく伸びをすれば、自然と身体は落ち着きを取り戻します。副交感神経優位な状況を強制的に作ることで、身体から心を制御するのです。それがルーティーンの本質だと思います。
意味のない儀式がもたらしたリズム
私は、特に意味もなく、午前7時27分におはようございます、午後7時27分にこんばんは、と投稿する生活を2年半続けてきました。これだけの期間続けていると、さすがに体内時計も覚えてくるようで、7時20分くらいからそわそわしたり、ふと時計を見ると7時26分だったりします。
身体が12時間おきにリズムを刻むので、自然と生活リズムも整ってきます。毎朝5時52分に目覚ましをかけているのですが、最近は自然に目が覚めて時計を見ると5時51分だった、ということがよくあります。土日でもお構いなしに目が覚めるのでちょっと困るくらいです。
毎日の定時の挨拶が、私の身体を無意識のレベルまでコントロールするようになりました。ルーティーンが制御するのは心だけでなく、無意識の世界にまで及ぶのですね。
共に祈ろう
それってあなたの感想ですよね?と思う人も多いでしょう。でも、この前、毎日一緒に7時27分の挨拶する仲間と話したのですが、やはり同じような感覚を持っていることが分かりました。
時間を逃さないためにアラームを鳴らしたりはしない。これは自分の身体との対話だから。身体に時間を刷り込むために毎日祈り続ければ、自然と健康的な生活リズムが身につく。という認識を持っているのは、私だけではありませんでした。
早起きができない、睡眠が安定しない、など困っている方も多いでしょう。寝るという行為はなかなか意識的に制御するのが難しいです。でも、挨拶をするという行動は制御できます。行動を通して、心を、無意識を、制御していくこと。これこそが、意味のない儀式のもつ最大の意味なんだな、と思いました。だから、皆さんも一緒に挨拶をしましょう。
おはようございます。