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「宗教の起源」~人類の進化と宗教

第7章から突然話のテイストが変わって、原始の人類の進化と宗教がどのように関係してきたか、みたいな話になりました。けっこう真面目な調査データとか載っていて、今まで雰囲気で宗教のこと語ってきたけど、ちゃんと数字と突き合わせて考えると全然印象が違ってくるなぁ、というのが今のところの感想です。


原始の宗教6タイプ

  1. アニミズム信仰

  2. シャーマニズム

  3. 祖先崇拝

  4. 死後世界への信仰

  5. 特定の居場所を持つ地域神への信仰

  6. 高みから道徳を説く神への信仰

一番古いのはアニミズム、すべてのものに霊魂が宿っている、八百万の神みたいなやつですね。日本人の宗教観、クソ古いじゃん・・・。なんも成長していない。

2~5はあんまり深く考察されてなかったです。最後の「高みから道徳を説く神」の話は3章とかにも出てきたし大事なんだと思います。

原始人と宗教

類人猿、アウストラロピテクスなどは脳が小さくて高次の思考はできませんでした。ネアンデルタール人はそこそこ人類に近づいてきて言語らしきものを話せるくらいにはなりましたが、まだ宗教を信じるには至らないとのことです。

洞窟の謎めいた雰囲気に驚きおののく気持ちは表現できたし、トランス状態に入ることもあっただろう。ただそんな体験を霊的世界と結びつけ、「意味」を論じていたとは考えにくい。

P191

宗教っていうのは、かなり高次の概念のようです。本書ではメンタライジング能力というもので説明されていますが、宗教を信じるには五次志向性が必要なんだそうです。ネアンデルタール人は四次志向性止まりだったそうです。ちなみに、

四次志向性での言語は10代の若者の言葉づかいに似ている

P188

ということなので、10代の若者はネアンデルタール人レベルです。だから若者は宗教のことがあんまり分からなくて、幼いころから刷り込まれていない限り、宗教のことを鼻で笑ってしまうのですね。

人口増加と宗教

人口が増加すると、とにかくストレスが増えます。対人関係は、基本的にストレスフルなのです。

狩猟採集社会では、暴力による死亡の割合は集団が大きくなるにつれて直線的に増加する。数百人規模の村で暮らす農耕民は、狩猟採集民よりはるかに高い殺人発生率にさらされる。その原因の多くは共同体内部でのいさかいだ。

P203~205

人が増えると、とにかく喧嘩して、死にます。しかし、バラバラに暮らしていたら近隣の狩猟採集民に襲われて殺されます。結束しないと外から殺されるけど、結束すると内側から殺されます。

人口が10万人くらいになると喧嘩もかなり複雑になります。暴力、窃盗、虐待、口論、いろんなことが起こります。天罰を恐れる人びとが神をなだめるため、儀式を複雑化させていったそうです。そして人口が100万人くらいになると「高みから道徳を説く神」が出現するのだそうです。

思ったよりも、道徳を説く神が出てくるの、遅かった。100万人なんだ!?私たちが100人前後のコミュニティ運営で考えている宗教とは、スケールが違った。

私たち人類の祖先は、さらに大きな社会集団をめざした。そのために必要だった新たな結束強化の手段が、歌や踊りや宴会だった。ただ、それではせいぜい100~200人のまとまりのゆるい共同体しかつくれない。この壁を越えて共同体の規模を大きくするには、社会の構造化と、組織的で形式の確立した宗教の導入が不可欠だ。

P229~230

現代人と宗教

私たちは、法律とか道徳とか倫理とかを義務教育で身につけることで、1億2000万人の共同体になっても、さほど殺し合わずに生きている。これはすごいことです。もちろん軋轢はいっぱいあるし、みんなストレスで病んでますけど、でも死因の4割が暴力なんてことはありません。立派に成長しましたね。

私たちは、そうした社会の中で、自由を求めて、個人主義を標榜して、他者との繋がりを断とうとしています。その方がストレスがないのは確かです。でもやっぱりダンバー数の小さな共同体くらいはあった方がいいよね、という揺り戻しがちょうどきている段階だと思います。

だから私たちは飲み会をして、カラオケに行って、100人くらいのゆるい共同体を復活させようとしているのです。時代は繰り返す。

もし、その先を見据えるなら、もう少し大きな社会構造を目指すために宗教を取り入れた方がいいかもしれません。宗教に大事なのは神秘体験です。何かしらの神秘体験に意味づけをしてみんなで信じることです。ヌミノーゼなくして宗教はないのです。

でもそれは先の話。まずは、挨拶をして、儀礼をこなして、陽気ないいやつになって、小さな共同体を取り戻しましょう。

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