新しいリーダーシップの本として「エルダーシップ」について読んでいこうと思います。
対立しよう
とにかく、強くなれ、そして他者を救い出せ、というリーダーシップモデルですね。なかなか過激な思想です。
対立しないという傲慢
対立しない方がいいよね、というのは、対立しない方が得をする、社会的に優位な立場からの無言の圧力なのだそうです。たとえば西洋社会における黒人のように、抑圧されている人々は、対立してでも自分の主張を届けたいと思うでしょう。そういう対立の火種は我慢してもらった方が社会は平和で安定だよね、というのは、優位な白人の傲慢な考えなのです。
ただ、この考えを逆にして、弱者は絶対に守られるべきだ、という意見もまた傲慢であると筆者は言います。
強者にも弱者にも等しく配慮するファシリテーター、それこそが対立の中に座すエルダーシップなのです。
自分の特権を自覚する
対立はほとんどの場合、強者と弱者、抑圧者と犠牲者に分かれます。この両方の立場を知ることがとても重要ですが、とりわけ強者が自らの力を自覚するのは難しい、と筆者は言います。
私も以前の読書会でマジョリティの特権は自覚しにくい、といった話をした覚えがありますが、まさにこの内容ですね。
そして、この強者の無自覚をいかに脱却するかが焦点となります。本書ではこの強さのことを「ランク」と呼んでいます。
これは、何らかのきっかけで弱者から強者に転じることができた人にも起こる、といいます。私は今まで弱者だったからあなたたちの苦しみが分かるんです、今すぐ悪い習慣をやめて、私と同じように良い習慣を始めましょう、といった語りかけをします。これは本当に病みつきになる。他者に救いの手を差し伸べるという強者の行為は麻薬のような快感をもたらします。でも、それは本当に弱者の苦しみに寄り添っているわけではなく、自分のエゴを押し付けて悦に浸っているだけだ、と筆者は言っています。
そのような例が本書では多数紹介されています。面白いですね。
特権を自覚し、弱者に寄り添い、そして強者にも平等に接する、その上で弱者と強者の対立の間に座す、それがエルダーシップなのだそうです。聖人君子ですか? マゾすぎでは。
とりあえず序盤ではこのような説明がされていました。引き続き読んでいこうと思います。