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学習と伝承

正統的周辺参加の本の後半です。具体例が出てきて、筆者の言いたいことが分かりやすく描かれていました。前半の内容は以下を参照。

師匠と弟子~教える/教わるの関係

本書では仕立て屋さんの事例が出てきます。仕立て屋の親方のところに弟子入りして、少しずつ衣服の作り方を学んでいきます。最初はボタンの手縫いとかアイロンかけなど簡単なところから始まり、だんだん難しい仕事へと移行していきます。

ここで行われている学習というのは、親方が弟子にミシンの使い方を説明するような表面的なことではないのです。親方がどういう段取りで仕事を進めているかを知り、ボタンを縫いながら衣服の構成を把握し、アイロンをかけながら布と布の縫い合わせの論理を体感していく。

こうして、最初は仕事の周辺部分に参加することで少しずつ仕事の流れを学習していくのです。親方の技術を目で見て盗む、背中を見て育つ、そういったタイプの学習こそが、人間の基本的な学習スタイルなのです。

周辺参加できないと学習できない

次に、スーパーの肉売り場の事例を紹介します。こちらは周辺参加の失敗事例です。スーパーに弟子入りした肉加工職人は、効率化のために分業していました。自動包装機を使って肉のラッピングを担当することになった弟子は、その機械の使い方を教えてもらったら、あとはずっと肉のラッピングしかできません。

作業場のレイアウトで、他の職人が肉をカットしているところが見えれば、多少は学ぶこともできます。でも狭い部屋で機械しか見えないところに一人で作業していたら、その他の工程のことは何も分からないままです。でも、そうやって仕事を専門化した方が効率は上がるので、どんどん学習の機会はなくなり、技術は失われていくのです。

周辺参加の仕組みを利用したアルコールアノニマス

アルコールアノニマスという、アルコール依存症同士が話し合いながら脱アルコールしていくコミュニティがあります。これも、周辺参加による学習の仕組みが使われているようです。

まず、アルコール依存症の人は自分が依存症であることを認めるところが第一ステップとなります。いきなりアルコール断ちできるわけではありません。脱アルコールのための12ステップが明確に規定されていて、それを1つずつ進んでいくことで徐々にアルコールへの依存を減らしていきます。このステップを進むことが、同時にコミュニティの周辺から徐々に中心に向かうように作られています。

  1. われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。

  2. われわれは自分より偉大な力が、われわれを正気に戻してくれると信じるようになった。

  3. われわれの意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤー・パワーの配慮のもとに置く決心をした。

  4. 探し求め、恐れることなく、生きてきたことの棚卸表をつくった。

  5. 神に対し、自分自身に対し、いま一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。

  6. これらの性格の欠点のすべてを取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。

  7. 自分の短所を変えてください、と謙虚に神に求めた。

  8. われわれが傷つけたすべての人の表をつくり、そのすべての人たちに埋め合わせをした。

  9. その人たち、またはほかの人々を傷つけない限り、機会あるたびに直接埋め合わせをした。

  10. 自分の生き方の棚卸しを実行し続け、誤ったときはただちに認めた。

  11. 自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を、祈りと黙想によって求めた。

  12. これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話をアルコール中毒者に伝え、また自分のあらゆることにこの原理を実践するように努力した。

アルコールアノニマスでは、これら12ステップの条文をみんなで読み上げるそうです。新参者は簡単な自己紹介や、アルコール依存に至った理由などを説明します。経験を積んだ先輩たちはそれに対して理解を示し、そして自分たちの例を示します。そうしたやり取りを通じて学習し、そして新しくやってきた新参者の範となる先輩に成長していくのです。

ここでいう学習というのは、直接的に先輩の言った内容を自分の頭で理解して実行するという意味ではありません。アルコールアノニマスに参加することで、どのようなことが行われているかを体感し、実践を通じて身体感覚として理解していくのです。それが周辺参加から始まる学習なのです。

正統的な参加とは

正統的というのは、そのコミュニティに認められている、ということだと思います。呼ばれてもいないのに、無理やり周辺に来て参加した気分になってもダメなんだと思います。弟子として、周辺にいることが正統的に認められているからこそ、師匠は自らの働きを背中で見せてくれるわけです。

正統的に周辺参加していた弟子は、時間をかけて少しずつコミュニティの中心に向かっていきます。そして最終的には自分が中心的な存在にまで昇りつめることになります。この状態を十全的参加、などと呼んでいます。

学校の勉強と正統的周辺参加

学校における学習は、言葉を頭で理解して覚えるタイプの学習です。コミュニティへの参加などの実践が伴っていないため、なかなか身に付きにくいです。ただ、効率よくたくさんのことを頭に詰め込むことができるのは確かなので、今では世界中で広く行われています。

大人になると、もっと勉強すればよかった、とか思うパターンも多いですが、結局それは会社などのコミュニティに参加するようになって実践のための知識が必要になるからでしょう。

子どものうちから色んな経験をさせて、好奇心を育て、学ぶことの面白さを知ってもらいたい、というのはよくある話ですが、通りいっぺんのことをやってもあまり実にならないのは、それが正統的な周辺参加になっていないからです。一見さんではダメなんです。少しは腰を据えて活動を継続して周辺参加することで、そのコミュニティでの正当性を獲得しないといけないのです。

その点、受験勉強というのはよくできていますね。腰を据えてたくさん「勉強」という行為に周辺参加した人たちが、合格という正当性を手に入れて、進学校という選ばれたコミュニティに参加できるようになる。知識を得ることで、より知識の得やすいコミュニティの成員になれる。格差が格差を生む。素晴らしい学習効率だ。

もうちょっとお手軽に正統的周辺参加できるのが「塾」というコミュニティです。これはお金だけで参加できるので強いですね。そうして、いろんな先輩たちの勉強している姿を見ることが、勉強に対する姿勢というものを学習させるわけです。なるほどね~。

あなたのコミュニティはどうですか?

あなたが所属しているコミュニティはどうですか? あなたはまだ周辺参加ですか? 十全的参加者になりましたか?

十全的参加者、いわゆる「古参」になったのなら、あなたの行動、一挙手一投足が、新参者へのメッセージとなります。コミュニティの理念を体現して、皆の範となる行動ができなければ、あなたはコミュニティを追い出されるか、またはコミュニティそのものが没落することになるのでしょう。

良い群れを選ぶのはあなたですし、良い群れを作るのもあなたなのです。

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