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野生の思考 第二章「トーテム的分類の論理」

これまでヨーロッパの民俗学者たちは、未開人たちの思考が野蛮で、欲求と本能に支配された低俗なものでしかないと考えてきた。だから未開人の言語も自分たちの知識に従って分類してきた。

しかし、実は未開人は、食べられるとか有害であるといった単純な分類ではなく、色、形状、そのほか様々な性質で細かく系統だって分類されており、ヨーロッパ人よりも細かく精密に動植物を見分ける言語を持っていた。その分類基準はヨーロッパ人とは違う観点だったかもしれないが、やろうとしていることの構造は全く同じだ。たとえて言えば、万華鏡で見える模様は千差万別であったとしても、そこに現れる模様のパターンには一定の法則、構造が存在することに似ている。

さて、未開人にはトーテミズムという信仰がある。自分たちのグループが崇拝する、象徴となる動植物が存在するケースが多い。とある部族の中に、亀グループ、鷲グループ、熊グループみたいに3つのグループがあったとする。この亀や鷲や熊がトーテムだ。

ヨーロッパ人は、なんか未開人が動物を崇拝してて馬鹿だなぁ、と思っていたけれど、そうではない。その部族の中では、水に関連する生き物を亀、鳥に関連する生き物を鷲、そして地上の生き物を熊、という分類でくくっていたのかもしれない。文明人が、魚類、鳥類、ほ乳類と分けているのと、やりたいことは一緒だ。亀は魚類じゃないとか笑っていると本質を見落とす。未開人は、亀を起点に、水に関連する生き物を我々が知る以上に細かく精緻に分類しているかもしれない、ということだ。だから、未開人の分類を、真摯な気持ちで調べないと、トーテミズムが何を信仰していたのか本質が分からなくなる。

また、時間の流れとともに部族内にも変化が起こる。たとえば亀グループは繁栄して人口が増えて、灰色亀グループと黄色亀グループに分裂し、逆に熊グループは全滅して消えてしまったとする。すると、ある部族では、鷲、灰色亀、黄色亀の3種類のトーテムが存在することになる。ヨーロッパ人は、さぞかし笑ったことだろう。そんなに亀が大事なのか。なぜ亀と鷲なのか。これだから未開人の野蛮な思考は理解できない、と。

このように、未開人の言語は、我々と違う分類の切り口のため全然違うもののように見えるかもしれないが、やりたいこと、構造は同じである。

そして、未開人の神話や儀礼を理解しようと思うなら、この分類を正確に理解するところから始めなければいけない。でなければ、生贄に捧げられる動物の意味も分からないし、未開人が何を聖なるものと感じていたかも分からない。だから、民俗学者たちは、未開人の動植物の分類と真面目に正確に向かわないといけないよ、というのが筆者の主張だ。

最後に、この第二章で儀式の具体例の一つとして描かれていたワシ狩りについて解説したnoteがあったので、紹介しておく。


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