第9章ではカリスマの話が出てきました。本書ではカリスマに対する認識がそこまで深くないので、以前読んだ「カリスマ」を参考にすると理解が深まると思います。
カリスマ指導者にありがちなこと
カリスマというかメンヘラ? なんか精神がヤバくなって、何かに目覚めちゃった感じがしますね。依存体質だと信者になるけど、そこで自分が導くんだ、という気持ちになるとカリスマになるようです。
こうした障害?と近い感覚が宗教にはあるようです。宗教という形をとれば社会にとって害がないから障害扱いされない、くらいの差でしかないのかなぁと思いました。
伊予柑先生と魔法陣
これは邪悪な意見です。カリスマ指導者と信者の関係性を一つの便利な装置として利用すれば、共同体の管理が簡単になります。もともと宗教はダンバー数を越えた多数の人間が共同生活をするために始まったものではありますが、その起点となるのは個人個人の神秘体験です。
共同生活でつらいことがあった、そこから脱する神秘体験があった、だから宗教を信じるようになった、の順序です。これを逆向きに、共同生活を効率的に進めたい、だから宗教で管理したい、だから神秘体験をさせる、みたいなのは危険思想です。成人として迎え入れるためにバンジージャンプさせるとか、入社させるために面接試験を課して入社後にも社員研修で洗脳するような、そんな危険思想です。
こういうことはしちゃいけません、と書いてありますね。儀式、歌や踊りで人をコントロールするのはやめましょう。
でも、メンヘラカリスマに心酔して自己喪失して信者となるのと、冷静な神官に騙されて宗教魔法陣の中に組み込まれるのと、どっちが安全なのかは微妙なところですね。自分の人生の手綱は手放したくないと個人的には思うのですが、そんな自由には生きづらさが伴うって、どこかのカリスマが言ってましたしね。。。
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