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「自分が好きなこと」を姑息にお金にしていきたい 「元たま」石川浩司のYouTuber的な生き方

1990年に発売されたシングル『さよなら人類』が大ヒットし、紅白歌合戦にも出場したものの、2003年に解散した「たま」。40代以上のみなさんには懐かしのバンドかもしれませんが、今年28歳の私はまさにその年に生まれたため、リアルタイムでその活躍を見ていたわけではありませんでした。

しかし、高校時代に80年代の日本のアングラ音楽を漁っていたとき、「たま」と出会いました。世界の終末を歌ったかのような『さよなら人類』のシュールな世界観に引き込まれた一方で、なぜこんな曲がヒットしたのか、とても不思議でした。

多くの人が「たま」に熱狂した当時はどんな状況だったんだろう。そう思って、今回、ランニング姿でパーカッションを演奏していた石川浩司さんに話を聞きにいきました。たまがブレイクしたときの思い出を振り返ってもらいながら、「好きなことをやって生きていきたい」というYouTuberみたいな人生観を語ってもらいました。(篠原諄也

※この記事は2018年6月12日、ひとりを楽しむメディア「DANRO」で公開されました。

「たまは一回きりのお遊びバンドのつもりだった」という石川浩司さん

「外で鼻くそをほじくれなかった」

――たまはアマチュアバンドが演奏を競い合う人気番組「イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)」に出演後、社会現象にまでなったそうですね。

石川:「イカ天」はいまでいうと「M-1グランプリ」みたいなものだよね。出演したら、一晩でバーンと知れ渡る。放送の翌日、メンバーの知久くん(知久寿焼)と知り合いのバンドのライブを見にいったんです。新宿駅で待ち合わせをしていたら「昨日テレビ出てたでしょ?」って、女子高生とかいろんな人が押し寄せてきて、パニック状態になりました(笑)。ライブ会場に着いても、お客さんはみんな僕たちに注目する。演奏していたバンドにも「今日は素晴らしいお客さんが来ています」と紹介されて、ステージに上げられた(笑)。一晩でこんなに変わって、「どういうこっちゃ」と思いました。


――そこまで有名になるとは思っていなかった?

石川:想定してなかったですね。アングラな音楽のバンドだったし、商業的に売れるとは思ってなかったんです。それまでは「一生バイトをしながら音楽をやっていくんだな」と思っていた。「俺はもうそれでいいや」と。だから「テレビに出て少しでも有名になったら、バイトをちょっと減らせるかな」と思いましたよ。

――有名人になって大変だったことはありますか?

石川:外で鼻くそをほじくれないですよね(笑)。常に見られているという意識がありました。いつのまにか精神的に疲労がたまっていったのは事実です。アルバムのレコーディングも、海外でやるようになりました。日本だと、ちょっとでも時間があるとテレビや雑誌の取材が入る。気が散ってしまうんですよ。

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