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ショートカットに憧れて(前編)

ーーじゃ、駅前のカフェで15時に待ち合わせね

沙織にメッセージを送ると、髪を束ねていたゴムを外した。胸の下まで伸びた黒髪がノースリーブの肩を覆うように落ちてくる。少し首を振って手櫛で髪を整えると、よし、と自分に言い聞かせるようにして、美容室の入口に向かう階段を上り始めた。
なんだかいつもより心臓の鼓動が強く感じるのは、真夏の陽射しの中を早足で歩いてきたせいだけではない。自分でも恥ずかしいぐらい、緊張しているのがわかった。
美容室の少し黒がかった入口のガラス扉に、ロングヘアの私の姿が映っているのが見える。

この扉を出る時には、どうなっているんだろう。ロングヘアの姿もたぶん、もう見納めなんだ……。

そんなことを思いながら、扉の手前で思わず立ち止まり、いつもの癖で胸の下まで伸びた髪を触っていた。

でも、決めたんだ。今日、私はショートカットにするって。

怖気付く気持ちを振り払うように、勢いよく扉を開けた。

「こんにちはー。暑い中ありがとうございます。お荷物はこちらにどうぞ。」

柔らかな笑顔と共に、担当の米田さんが出迎えてくれた。中学生になって初めて一人で美容室に行ったときからずっと担当してくれている美容師さんだ。いつも気さくにな話しかけてくれるが、その声にはどこか低く落ち着いた響きがあって、大人の男性特有の色気を感じてしまう。

「どうぞ、こちらに座ってくださいね。」

荷物を預けると、そのまま案内された椅子に腰掛ける。鏡に映る自分の姿を見て、急に緊張感が高まってくるのを感じる。

「お久しぶりですね、前は半年前ぐらいでしたっけ?」

「そう……ですね。まだ高校入る前だったと思います」

「けっこう伸びましたね。あれからずっと伸ばしてたの?」

「はい。なんか高校入ったら忙しくって。そのままにしてたらだいぶ伸びちゃいました」

「ほんと毎日あっという間に過ぎちゃうよね。今日はどうします? このまま伸ばしていく感じかな?」

その瞬間、胸がぐっと締め付けられるような感覚に襲われた。言う、言うんだ。昨日から何度も頭の中で用意してきた言葉を口に出そうとする。けれど、実際にその時が来ると、喉が乾いて声が出ない。

「えっと……あの、今日は……」

顔が熱くなるのを感じながら、ようやく声を絞り出す。

「今日は短く……ショートカットにしようと思って……」

「えっ、ショート?」

米田さんの驚いた声に、心臓が跳ね上がったような気がした。

「どのくらいまで切りたいとか、なんかイメージありますか?」

「ええっと……」

いざ聞かれると、用意していた言葉が全て飛んでしまった。

米田さんがヘアカタログを手に取ってショートカットの写真を見せてくれる。当たり前だけど、写真に出てくるモデルさん達は小顔でキラキラしていて、ショートカットが似合っていた。とてもじゃないけどこんな風にはなれないと急に不安になってきて、今まで想像でしかなかったショートカットという言葉が、急速に現実になっていく。

「ショートも色々あるからね。こんな感じで思いっきり短くしたベリーショートもアリだし」

ベリーショートと聞いて沙織の短い髪が浮かんで、胸がドキリとうずく。

「いや、えっと……ここまで短いのはちょっと……」

「じゃあ、こんな感じのマッシュショートとかはどう? 前髪を眉毛にかかるくらいで揃えて、サイドに繋げて耳が出る感じにすると、バランスも良いと思うけどどう?」

「そうですね……いいかもしれないです」

言葉を紡ぐたびに、自分の声が小さく震えているのがわかる。米田さんは耳元で髪を持ち上げながら、さらに確認する。

「サイドは耳全部出るくらいまで切っちゃっても大丈夫?」

「あ、はい……」

言葉を返しながらも、頭の中では別の声が囁いている。本当にいいの? こんなに短くするんだよ――。

「大丈夫、絶対似合わせるから。では、シャンプーしますのでこちらへどうぞ」

言葉が続かないぐらいに緊張していた。ついに言ってしまった。私はもうすぐショートカットになるんだ……。

***

今まで髪を切ることはあっても肩にかかるぐらいまでにしか短くしたことはなく、最近は胸下ぐらいの長さをずっとキープしていた。ロングヘアの方が女っぽいと思っていたし、自分らしい気がして好きだった。

そんなわたしの価値観が揺らぎ始めたのは、高校に入って友達になった沙織の存在だった。
バレー部で長身の沙織はいかにもボーイッシュな潔いベリーショートが似合っていて、同性のわたしが見ても凛々しくて見惚れてしまうこともあった。

夏休み前のある日、登校してきた沙織の髪型に思わず目を見張った。

「おはよー沙織。また髪切ったの?」
「うん、ショートってすぐ伸びるからさ。夏だしいつもよりもっと短くってお願いしたんだけど、ちょっとやりすぎたかも……。ほら、後ろなんてこんなに刈り上げられちゃってもう超ショック!」

そう言って沙織がくるっと背を向け、襟足を指差して見せる。いつもよりかなり短く上の方まで刈り上げられていて、地肌が透けて見えている。沙織の白く滑らかな首すじと地肌が見えるぐらい短く刈り上げらたうなじが艶かしくて思わずドキッとした。

「えー、そんなことないよー。全然ありだよ」

わたしは平静を装いながら、さりげなく切りたての沙織の襟足を触る。男の子みたいに刈り上げられてショリショリした沙織のやわらかい髪の感触が気持ちよくて、いつまでも触っていたい衝動に駆られた。

「ねえ、沙織ってずっと髪短いの?」

「ううん、小学校の頃はロングだったよ。中学で部活始めたのをきっかけにバッサリ切っちゃったんだよね。」

「へえ、沙織のロングなんて全然イメージわかないなー。ショート似合っていいなー。わたしも切っちゃおっかなー」

沙織の髪を触りながら、冗談めかして言った。その時はもちろん本気で髪を切ろうなんて思っていなかった。
すると、沙織はわたしの長い髪をくくるように持ち上げて、真剣な目で言った。

「うん、絶対いいと思う。美穂も切ってみなよ。似合うよ、きっと」

沙織の言葉が胸の奥深くに響いた。沙織にしてみれば、軽いノリで言っただけかもしれない。でも、私にとっては特別な瞬間だった。

髪を切ったわたしを見たら、沙織はどう思うんだろう。
もっとわたしのことを、見てくれるんだろうか。

それからというもの、気がつくと自分が髪を切る姿を想像していた。ショートカットの画像を検索したり、鏡の前で髪をくくって「もし切ったらどんな感じだろう」と試してみたり……。想像は次第に現実味を帯びていき、その衝動は抑えきれなくなっていた。

夏休みに入って、沙織に会う約束をしていた日に合わせて、美容室の予約を入れた。ショートカットになったわたしを一番最初に沙織に見てもらいたいと思った。

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