万里の長城をヒールで登った歌姫
マライヤ・キャリーの母親と姉が同じ日に亡くなったらしい。
最近のニュースで、マライヤ母と姉が同じ日になくなったというニュースをみました。
マライヤ・キャリーは、アフリカ系アメリカ人、ベネズエラ系、そしてアイルランド系として生まれた。
父は航空エンジニア、母はオペラ歌手であり声楽の教師でもありました。
そういうことであの5オクターブの声が育まれたんですね。
環境もすごいけど、マライヤの努力ももちろんあったんだろうね。当たり前だけどヮㇻ
幼少期と音楽への目覚め
マライヤの幼少期は、混血ということで社会的に偏見差別を受けることが多かったらしいです。
彼女の両親は、マライヤが3歳の時に離婚。その後、マライヤは母と一緒に暮らし、母親から声楽の指導を受け、音楽への情熱を育みました。
学生時代、マライヤは作詞や作曲に興味を持ち始め、高校卒業後にニューヨークに移り住み、本格的に音楽キャリアを追求することを決意しました。
キャリアの始まり
チャンスがきたのは、1988年のことでした。
当時、彼女は歌手ブレンダ・K・スター
のバックコーラスを務めており、このお方の紹介でソニー・ミュージックのエグゼクティブであるトミー・モトーラにデモテープを渡してもらういう。で、モトーラは彼女の声に魅了され、契約締結。
1990年にリリースされたデビューアルバム『Mariah Carey』は、
すぐに大ヒットし、シングル「Vision of Love」を含む4曲がビルボードホット100で1位を獲得。これにより、マライヤは一躍スターダムに上り詰め、世界的なポップ・アイコンとなりました。
その後の成功
マライヤ・キャリーは、1990年代から2000年代にかけて次々とヒットアルバムをリリースし、「Hero」「Fantasy」「We Belong Together」など、数多くの名曲が世にでていく。
忘れてはならないのが、聞きすぎてたまにいらっとしてしまう(私だけ?)毎年クリスマスシーズンに連打される「All I Want for Christmas Is You」でも知られています。
この曲をきくと「29歳のクリスマス」を思い出しますねえ。
うんうんわかるわかるというかたは♥をおしてもらうと喜びます。
生い立ちからキャリアに至るまで、マライヤ・キャリーは自身の困難を乗り越え、世界的な音楽界のアイコンとしての地位を確立しました。
結婚して離婚もしたけど、今はあまりかわいくない双子の子どももいて幸せそう。
最近の母親と姉の死のニュースをみたあとに、また新しいニュースをみて、マライヤのプロ根性に彼女のファンになった。
マライヤ・キャリー万里の長城をハイヒールで登る
「オシャレは我慢」という言葉が一時期もてはやされていたが、今はそれも時代遅れ?なのかスニーカーや楽ちんファッションが流行っているみたいですね。
そんな中、秦の始皇帝もびっくりマライヤはヒールで登ったってよ。
いろんな事があっても自分を甘やかさずにストイックに生きるマライヤ。
これからも応援していきたい!
あんたはヒーローだよ。