慶應ボーイ(仮)のバレンタイン奮闘記(2月エッセイ②)
こんばんは、1月22日土曜の夜ダノです。今週のnoteを公開します。タイトルは『慶應ボーイ(仮)のバレンタイン奮闘記』です。慶應ボーイには良くも悪くも見えない(と言われる)私が今回、東京で初めてバレンタインデーを迎えました。さて、いくつもらえたのでしょうか〜。
1.今年は貴重な1コ
結果から言うと義理チョコを1ついただいた。14日のシフトの時に、職場の方からいただいた。まあ、元々雲行きは怪しかった。なんでかと言うと、私は13日と14日のシフトに入っていたのだが、13日のバイトのシフトがなくなってしまったからだ。13日は日曜日なので、働いているPTRも多い。その分、義理と称した本命チョコや義理と称した義理チョコがもらえるのではないかという淡い期待を抱いていた。しかし、その期待さえ大雪予報のシフト調整によって消されてしまった。上司には動揺してるって思われたくないから、「ああそうですか分かりました連絡どうも」くらいのテンションなのだが、本心は「ちっっっくしょーーーー!」くらいの感じだ。いつもなら家族からもらえる分で1個は保証されているが、今回は違う。東京に来て後悔したことのひとつだ。
しかしながら、貴重な1個をいただいたので、しっかり味あわせていただいた。口の入れたら溶けていく感じだ。貴重な一個なので溶けるまでしっかりと口の中で一年分楽しませてもらった。食レポが如何せん下手なので、無難なコメントしか言えないが、めちゃくちゃ美味しかった。袋に「Happy Valentine」と書かれていて、バレンタインの英語の綴りを初めて知った。しっかりとお返しをさせていただく。
2.今までのバレンタイン
チョコを口で溶かしながら、今までのバレンタインの思い出が蘇ってくる。初めてもらったのは小学校一年生の頃、当時好きで仲の良かった方からいただいた。ハート型のチョコで中にナッツが入っていた。ペンで「だいきくんへ」と書かれていた。その子は他の子にも渡してはいたが、ナッツが入っていたのとペンで名前が書かれていたのは私だけだった。優越感に浸ったのを覚えている。お返しは、確かブルーベリーのジャムパンを手作りしてお返しさせていただいたと覚えている。初めてのバレンタインをもらって私より喜んでくれた母親と一緒に作った。多分、初めての手料理だった。諸事情あって、これ以来、本命チョコをもらったことがない。
小学校はあれ以来もらえなかったが、中学校に入って部活の義理チョコで荒稼ぎした。男女だと女性の方が多い部活だったので、義理チョコという名の”義務”チョコであった。本命ではないバラマキ用のチョコなのは分かっているし、「ああ、ありがとう。」と淡白な返しをし、斜に構えた面構えをしてしまったが、本心は心の中でスライディング土下座をして御礼を申し上げていた。一日一個ずつ食べて、最終日に近くなると溶けて紙に張り付いて取るのが大変だった。確か、最高で10個を超え、ギネス記録「ダノのもらった数部門」を記録した。
高校は部活がラグビー部で女子が0だったので、もらえなかった。生徒会に入っていたので、なけなしの義理チョコをもらったことはあるが、それでも4、5個にすぎなかった。高校のバレンタインで心に残っている思い出は、高校二年生のクラスでのことだ。当時人気がなく、クラスでチロルチョコ1個くらいの量を男子たちにばら撒いている女子にさえもらえなかった。しかし、それを見かねた女子がなけなしの余った義理チョコをくれた。ちょっと好きになりかけた。私のような「真面目だが決してモテない男子」には、そういう1個もらえただけでも好きになってしまう特性があるし、こういう男子はもらえたチョコのことはずっと覚えているので、将来、大きな株式になる可能性が高いぞ〜。
そのチョコは、キャラメルを溶かして紙に貼り付けたみたいな感じで、半熟くらいに固まったキャラメルを前歯二本でちっさく食べていって紙までしっかり舐めさせてもらった。恩返しのホワイトデーにはスタバのコーヒー詰め合わせやゴディバのチョコを渡した気がする。
この季節になるといっつも思い出す。多分、来年も思い出す。