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オーガニック人間と添加物人間(2月エッセイ③)

 こんばんは、土曜の夜ダノです。今週のnoteを公開します。今回のnoteは、オーガニックと添加物について書いています。別にこれは野菜について書いているのではなくて、人間にもオーガニックの部分と添加物の部分があるなあと思って色々書きました。

1.オーガニック・ナチュラルと添加物はそもそも何なのか

 前に、Instagramに上がっていたショート動画で、芸人さんのコントを見た。内容は「修学旅行で泊まったホテルの朝、若い先生は化粧に時間がかからないが、そうではない先生は化粧に時間がかかる」という学校行事に関するコントで、セリフで「いいわよね、若い先生は素で勝負できるから。オーガニックじゃない。」というものがあり、このワードセンスに惹かれてしまった。それと同時に、ふと、顔だけじゃないよな、オーガニックってと、思ってしまった。いちいち言葉に引っかかってしまうのは病んでいるのではとかも思ってくる。

 そもそも、オーガニックって何だろう。野菜は嫌いではないが、野菜を食べてこなかったこの体型なので、野菜のことはよく分かっていない。日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会によると、「農薬や化学肥料に頼らず、太陽・水・土地・そこに生物など自然の恵みを生かした農林水産業や加工方法」らしい。簡単に言うと、「自然に任せて最低限しか手を加えない」といったところだろう。ちなみに、オーガニックとナチュラルは少し違うらしい。分かりやすく言えば、オーガニックは人為的な生産や生活の方法であり、ナチュラルは天然物・自然物そのものを指す。例えば、栗を取り上げると、栽培期間中に肥料やその他の人為的管理をしていればオーガニックの範疇、何もしないで落ちた栗の実を拾うだけならナチュラルだそうだ。また魚を例に取り上げると、養殖ハマチはオーガニックになり得るが、海で獲れたハマチはナチュラルでありオーガニック認定にはならないらしい。まあ、この話では一緒として扱いたい。以下、オーガニックであれ、ナチュラルであれ、オーガニックでまとめる。この手の話は難しい。

2.人間にも当てはまる

 野菜や魚にもオーガニックか否かがあるように、人間にもあると思う。

 一番ナチュラルか添加物かがはっきり分かれるのは「出身地」の話だろう。社会学を履修していたときに、「首都圏出身者と地方出身者には格差がある」という話を何度も何度も聞いた。地方格差は格差問題を語るときに本当に便利な道具で、中央省庁の皆様が作成した統計資料も多いので、話ダネになる。まあ、もちろん、物価も違うし、教育の機会数も違うし、平均収入も違うというのは、前述の統計資料で明らかになっていて問題視もされており、さらに専門に扱う特命大臣もいるから、そりゃそうだろって話なんだが。ちなみに、私は今”首都圏”で学生生活を送っているが、これは私にとっては添加物だ。元々岡山県という地方出身なので、首都圏とは特に縁がなかった。大学で初めて首都圏、特に東京と友好を交わすことになり、東京ワクチンを打った。その副作用がなかなかに激しい。ここでいう副作用もまた格差だ。ブランド物のバッグ、背の高いイケメンと美女、親のクレジットカード、ベンティサイズのフラペチーノーーーこれらに気になってしまうことだ。それらが気になりすぎて、東京から出て行きたいことも割とあるが、資本主義様の元では東京にいる方が有利になるので、ぐっと飲み込んでそそくさと満員電車に乗ってバイトに行く。対して、元から首都圏に住んでいて、首都圏の初等・中等教育機関を修了して首都圏の高等教育機関に通っているような学生の方々はオーガニックなのだ。打たなくても良いワクチンを打たなくてもよく、副作用に悩まされることもない。ここですでに格差があるし、ここから格差がはじまるといっても過言ではない。ゲーテの言葉をもじると、生まれた時から、昔、その日から、新しい格差の歴史が始まるのだ。

3.できればオーガニックになりたい

 同じ出力結果ならオーガニックが良いだろう。野菜だってそうだ。同じ糖度や品質、価格なら、オーガニックを買うだろう。それと一緒だ。私も東京オーガニック人間になりたかったが、東京一世の私は多くの添加物でできている。それは仕方ない。岡山での生活もなかなかに良かったし、多分、東京では普通のことが岡山だと驚いてもらえる。この大学に受かってすごく賞賛されたのは地方出身だったからというのもあるのだろう。

 いずれにしろ、子供を東京二世にするまで、戦わないといけない。

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