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想像力と絶交
人の気持ちを理解するのは本当に難しい。
それは何も、人の気持ちを想像出来ないということではない。
むしろその逆で、人の気持ちは色々な選択肢があり過ぎて、どれが正解かが分からない。
例えば、辛そうにしている人に「大丈夫ですか?」と連絡する。
その時相手は、辛い時に声をかけてくれてありがたい、と思っているかもしれないし、大丈夫なわけないだろ!と憤慨しているかもしれない。
安易な声掛けで点数稼ぎをしてきたな、と邪推されているのかもしれないし、自分は平気だという上から目線ですか?私が大丈夫だと困るんですか?という卑屈な思いになってしまっているかもしれないし、はたまたそんなことがよぎる自分に自己嫌悪させてしまっているのかもしれない。
あまりにも選択肢が多過ぎて、例えば相手からの返信が何だかマイナスだな、ということは感じ取れたとしても、どの感情なのだか正解が分からない、ということが、特に文字のコミュニケーションだと往々にしてある。
文字のコミュニケーションって本当に難しい。
全く無感情、無表情のまま、それウケるね、などと返信することだって出来るし、何なら他のことで悲しくて泣いている時にだって、面白いね(笑)みたいな返信をすることも出来る。
また、同じ文章を送っても、忙しくてイライラしている時に呑気な文章を受け取ってイライラさせてしまうかもしれないし、非日常に感動している時に日常的な文章を送って現実に引き戻して嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。
とにかく、状況から感情まで選択肢が無限にあり過ぎてどれが正解だかさっぱり分からないわけだ。
そうなると、とりあえず相手の文章をそのまま鵜呑みにして、そこに書いてあることが全て真実だと考えてやり取りするしかない。
もしかしたら相手はこう考えているかもしれない、という選択肢は無限過ぎてキリが無いのだから。
特に、この人と仲良くなりたいと思っている人とのやり取りで、もしかしたらこの文章は建前かもしれない。このやり取りを嫌がっているかも、などと文章から直接は読み取れないことを考えだしたらキリが無いのだから、文章にそってやり取りをする。
もちろん人間生活を円滑に送るには本音と建前がとてつもなく大切なことも分かっているし、自分だって本音を全てさらけだすなんてことはするはずもないが、それでも、自分は嘘になるような建前は言わないようにしている。本音を隠すことはあっても、嘘は決してつかない。それをやり出すと本当に無限の可能性があり過ぎて全てのやり取りが成立しなくなるからだ。
だから相手もそうであろうという前提で話をする。全ての可能性を追いながら会話をすることは、特に文字のやり取りでは不可能だから。
そうこうしているうちにいつの間にやら嫌がられ、いつしかブロックされて絶交だ。
相手の気持ちを想像出来ないことと、相手の気持ちを想像出来過ぎて、選択肢があり過ぎるからそれを前提には話せないのは相手からすれば同義なのだろうが、みんなどのように上手く人との距離を詰めているのだろうね。
難し過ぎて嫌になる。
小さい頃から親の顔色をうかがって生きてきたせいか、目の前に直接いる人のことはよく分かることは多い。特に仕事中なんかは願いが一直線だから、動き、目線、焦り具合、とかで、想像つくことが多い。
相手から言われる前にこっちに来た人に対して、
あ、●●さんからメール来てましたよ。
このプリント探してますよね?
とか、なんならもっと上の、▲▲を探していると思いますが今日はそれ無いです、みたいな、無いものを探している所まで先に当てられたりもするから、決して人の気持ちを考えるのが苦手なわけではないとは思うんだけど。
酔っ払いの願いなんかも分かりやすいから、大学生の時大人数の飲み会なんかだと、ああ、この人はこの人と話したいんだな、この人はこの人と話したくてこの人が邪魔なんだな、などブワっと情報が入ってきて結果自分は誰とも話せず、かといって一人ぼっちでいるのが優しい誰かにバレると気をつかわせてしまうから、酔っ払いの誰にもバレないポジションを確保して忍者のように誰にもバレずに誰とも話さず。お会計の時とか誰かが割ったグラスを片付ける時だけどこからともなくサッと現れる、みたいなことやってたのが唐突に思い出されたけど、何をやっているんだろうね、この人生ずっと。
基本的にマイナスの感情にとにかく目が行きやすいし、人にマイナスの気持ちを抱かせないことに重きを置き過ぎてしまうから、人を楽しい気持ちにするのがどうにも苦手だ。大勢で何かの話題で楽しく話している時に、その話題を嫌がっている人がいたらそちらに目がいってその話題をすることを避けたくなったり、人の誕生日を表で祝うと気付かれなかった人が嫌な気持ちになるだろうから、と表で祝うことは避けたり、大勢参加出来るような楽しいイベントを組むと声をかけられなかった人が嫌な気持ちになるだろうからなかなか出来なかったり、人狼で同村した人の中の一部の人のアカウントを見つけても、その人をフォローすると他の見つけられなかったアカウントの人が嫌な気持ちになるかもしれないから自分からはフォロー出来なかったり、etcetc・・・。
ハッピーをたくさん生み出して陽のパワーで周りを幸せに出来る人に憧れるけど、それはなかなかどうしてやろうと思っても出来ないものだね。
人の気持ちを考えて考えて、人の気持ちを想像して想像して、人に気を遣って人に絶交されて・・・。
それでもいつか報われる日が来ると信じて歩いていくしかない。
ここしばらくずっと書こうと思っていた内容ではあるけど、いつもながら途中から何を書きたいのかわけわからん感じにはなってしまった。
そうか、そんな風に考えてたんなら絶交せんでやろう、って思ってくれる人がいてくれたら嬉しいな、という淡い期待があるのかもしれないね。
人は分からないものに一番恐怖を抱くものだから。