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#48 仕事とプライベートのボーダーライン

僕はnoteの中でも度々、建築オタクであったり、変な凝り性癖があることを告っているのだが、今回はそんな話と仕事とが、いかに共存できるかという話。

仕事は仕事、プライベートはプライベートと完全に切り分けている人も多いだろうし、僕の組織においてはそっちの方が大多数のように感じるが、僕の場合、両者の関係は結構あいまいだし、どちらとも言えないような領域がかなりあるのも事実。

側からみると、何だか楽しくなさそうに思う人が多いかもしれないが、僕の中では両者は結構バランスしているので、そんなに辛いと感じることもないし、どちらか一方になる方が辛いように思う。

今回はそんなことを綴っていきたい。


仕事ってそもそも何?

日本人にとっての仕事って、大多数は学校(高校や大学・専門学校など)を卒業した後、社会人になって労働による対価を得ることだと認識されていて、それはまぁ間違いない事実である。

どこかの会社や団体などに勤めて給与を得るいわゆるサラリーマン(公務員も含めて)が対多数ではあるが、自営業という仕事によって生計を立てている人も一定数いる。
給与を得る、自営で稼ぐなど手段はまちまちであるが、多くの人は仕事(労働)により生計を立てていて、お金を得るために仕事に就いている人がほとんどである。

何のために働くのか?と問われれば、お金のためと答える人も多いだろうし、事実、僕にとってもそれが働く理由の一つでもある。
あくまで個人という小さな枠の中で捉えた時にはそうだろう。

ただ、もう少し視点を広く捉えると、仕事というのは社会の役に立つことを、それぞれがシェアしながら、世の中が回っていると言うこともできる。
・農家の人が米や野菜を育てること。
・お店の人が物を売ること。
・サービス業の人がサービスを提供すること。
・製造業の人が物を作ること。
・芸能人がエンタメを提供すること。
・大工が家を造ること。
・医者が病人を診ること。
・政治家が制度を決めること。
・公務員が地域の人々の暮らしを守ること。
そのどれもが、社会を成立させるために必要なことで、それぞれが提供できるものを交換しながら支え合って、人々がその中で生きているのである。

社会という大きな全体装置が動いていくためのエンジンだったり燃料だったり、ボディの一部・・・これが個人個人が受け持っている仕事である。
こう考えると、仕事の意味というのが何となく腹落ちできそうな気がする。

僕にとっての仕事は結構いろいろある

僕は役所という組織で働いていて、公有財産とか公共施設とかを扱っている部門にいるため、仕事のフィールドはかなり広い。
その上、課長という職責なので、課で行なっている業務は全て仕事の範疇であり、当然ながら課の組織マネジメントや議会対応などもそこに加わる。

超かんたんに要約すると以下の業務が、概ね僕の仕事のフィールドである。
・庁舎の管理
・公用車の管理
・物品の管理
・普通財産、財産区の管理
・公共施設マネジメント
 →FM
 →公民連携
 →建築営繕
 →その他、公共施設に関すること全般
特に公共施設マネジメントに関しては全庁的な横串し体系の業務であり、受け持ち範囲は自分の課にとどまらないので、フィールド(守備範囲)はめちゃくちゃ広い。

庁内職員向けに毎月発行している「つやまFMだより」
創刊から6年目になるが、フィールドが広いから続けられている(笑)

嫌いな仕事もたくさんある

こんな仕事っぷりであるが、そんな中にも好きな仕事と嫌いな仕事はもちろん存在する。

僕は大体、定型的な仕事がそもそも嫌いであり苦手であるため、日々のオペレーション業務には全く興味が沸かない(笑)
(逆にこれをいかに改善するかということには異常に燃える)

ただ、残念なことに、毎日のように各種決裁が山のように積み上げられ、中身を確認しながら単調にハンコを押していくような仕事もかなりのウェイトを占めている。
(まぁこれらを僕は、仕事と呼ばず作業と呼んでいる

役所の仕事に詳しくない方には全く分からない世界かもしれないが、どんなに小さい案件でも課長という立場にいると、その全てに決裁をしなければならないので、たかが100円の支払い決裁も全てハンコを押さなければならないのである。
(係長決裁といのが存在しないので、課長は全てに目を通す必要がある)

毎月の電気代、物品の購入代、委託費・手数料など諸々の支払い、庁舎や公用車や物品に関係する色んな決裁、工事施工関係の書類・・・ありとあらゆる書類が僕の前に積まれ、一日のうち、それなりの時間を割いて、日々の定型業務をこなすのも僕の仕事・・・正直、僕にとっては苦痛の作業以外何ものでもない。

半日くらい放っておくとこんな決裁の山になる(苦笑)
中には1ファイルの中に10箇所くらいハンコを押すものも(笑)

ちなみに僕は、自分の印鑑に三菱UNIのはん蔵という印鑑ホルダーをセットしているのだが、朱肉のカートリッジは2ヶ月に1個くらい取り替えなければ擦れてくるので、こちらの商品は手元に常にストックしている(笑)

逆に好きな仕事はどんなものか

嫌いな仕事が多いのも事実(このタイムパフォーマンスが悪いのが一番の悩み)であるが、一方で好きな仕事もたくさんある。

建築オタク(もちろん僕は建築職)ということもあって、やはり公共施設(建築)に関わるような仕事は好きな部類に入ってくる。
その中でも、半ば社会から見放されたような遊休化した公共施設や、行政の中で負債と化した公共施設が、何かしらの手段によって再生や利活用がなされ、その存在自体が大きくV字回復する姿を目の当たりにすると、何とも言えない高揚感が湧いてくる。

それらは財政的な貢献も大きいので、組織の中で重宝がられるのはもちろんなのだが、市民からクレームを受けることが常態化していている行政組織にあって、地域や事業者や利用者から喜ばれたり、何より社会に貢献しているという充足感が得られるのが大きい。

最初に書いたが、仕事に大きな意味を感じることができるし、社会の中で自分の居場所ができるような気がして、この仕事に就いてよかったなと感じる瞬間である。

プライベート×仕事の相乗効果

さて、ここからが今回のテーマの本題であるが、仕事とプライベートに境界線(ボーダーライン)を引く人は数多くいるが、僕にとってその境界は非常に曖昧である。

というのも、僕にとって建築は趣味のようなものであり、四六時中、建築のことに触れていても全く苦にならない対象である。
今では滅多とないが、学生時代は友人たちと24時間建築のことを語り合って過ごしていた日も多かった(笑)

ありがたいことに今では、職場だけの仕事でなく、全国あちこちに出かけることも多いので、その度に気になった建築や空間、スポットを訪れては、自分のアイデアの引き出しを増やすインプット作業に充てている。

こんな風な建築を造ってみたいなとか、こんな空間を自分のまちにも創造してみたいなとか、こんなコンテンツとあんなコンテンツを掛け合わせたら、どんな風に変化するだろうとか、一人でワクワクしながら色んなところを観察しているという、側から見るとかなりヤバい人間である(笑)

時にまちの風景だったり、時に建築のディテールだったり、時に提供されているサービスだったりと視点はそれぞれであるが、そんなことをしている時は充足感が非常に高い。

プライベートタイムにおいても、家族で素敵な場所を見つけて出かけてみたりと、何となく趣味なのか、仕事なのか分からないような時間を過ごすことも多い。

森の芸術祭に連動して開催された「峰彩食堂」@domaine tetta
素敵な空間と素晴らしい料理・サービスのコラボレーション

まぁ趣味が仕事になっているといっちゃそれまでなのだが、仕事の対象を広義に捉え、目の前の仕事を単にこなすということではなく、仕事の意味を社会全体の中に置き換えてみることで、色んなことが見えてくるのではないだろうか。

結局のところ、嫌いな仕事だと発展や成長はあんまり期待できないし、逆に好きな仕事だからこそずっと続けられるし、さらに極めていけるのだと思う。

余談ではあるが、公務員の短期間での異動というのは、こういったボーダーラインの構築に拍車をかけているように僕には思えるのだが、気のせいだろうか?

仕事とプライベートがボーダーレスに繋がっていると、何となく苦しいんじゃないかと思う人も多々いるだろうが、僕にとっては、そのボーダーラインが消えちゃっているから楽しくてしょうがないのだ。

プライベートと仕事が絡み合ってくると、どちらにも相乗効果が生まれ、それらが乗数的に膨らみ、結果、プライベートも仕事も充実するんじゃないのかなぁと思う訳である。

う〜ん、こうして活字にすると、少し変態じみているし、なかなか稀有な人種なのかもしれないね(笑)

あっ、そうそう、最後にボーダーレスっていうと、やっぱこれだよね!
中2からのヒムロック狂、こっちも凝り性な僕なのである(笑)


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