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靖国神社廃止論

 東京新聞の本音のコラムに「靖国神社廃止論」が掲載された。論じたのは、前川喜平氏。毎年この時期、少数の政治家が目立つように靖国神社を参拝している。マスコミに取り上げられて記事にされるので、そのことを目的にしているようにも見受けられる。
 さて、前川氏が記している中で、戦後すぐに石橋湛山が靖国神社廃止を唱えていたとあるのは、驚きである。石橋湛山は、自民党の戦後の政治家の中で頭抜けて高邁な理論と哲学を兼ね備えた政治家として、今日でも高く評価されている。病に倒れ短命に終わった石橋内閣を惜しむ声は、彼の没後50年を経た今でも色褪せることはない。湛山が論じるところは、「国際的立場において許されるべきや」という点と、「屈辱と怨恨の記念として跡を留むる」という点である。いずれも靖国神社の本質を喝破しており、彼の真骨頂を見る思いである。
 靖国神社は、明治2年に勅命で創建された東京招魂社が母体である。明治維新で官軍の側で戦死した人の霊を祀ることに端を発している。その後も国のために殉難した人を祀っている。その後靖国神社と改称され、陸海軍の管轄となる。つまり高々150年ほどの歴史を有するに過ぎない新しい神社である。しかしながら、政府の手厚い保護により、明治神宮や伊勢神宮に匹敵するほどの待遇を受けることになって発展した。
 戦後、連合国による解体の危機もあったが、遺族の請願などにより一宗教法人として存続された。太平洋戦争の犠牲者を祀ることとなって祭神は一気に膨れ上がった。このことにより靖国神社の財政基盤は確かなものとなった。一方、A級戦犯合祀は複雑な問題を投げかけた。昭和天皇が参拝を取り止めた理由とされている。
 毎年のように問題となっている閣僚の参拝は、国際的立場においてプラスに働いているとは思われない。私達も犠牲者に思いを寄せるというよりは、犠牲を強いた戦争に対する痛切な思いを新たにする。来年は戦後80年。今後、参拝者は急激に減少することになると思われる。石橋湛山の廃止論に拠ることなく、静かにその役割を終えるであろう。

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