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【厚かましさのすすめ】どの面下げて
今日は、職場での出会いと出会いを活用した自分自身の鼓舞について書きたいと思います。
1.出会いに感謝
塾講師・高校教員として働いてきました。これまで、一番長い職場が塾の2年7ヶ月と職場を転々としてきました。就職・採用などのことを考えるとよろしくない傾向にあります。しかしながら、様々な職場を経験したことで良かったこともあります。それは「出会いが増えたこと」です。
私は行く先々で、幸運にも「出会い」に恵まれます。そして、一度築かれた関係が職場を離れた後も有り難いことに続きます。以前にも書いたことがあるのですが、複数の職場を経験することで、出会える人の母数も増えました。
2月も今日で終わりです。4月から新しい職場で勤務する予定なので、新天地が刻一刻と近づいているようでワクワクします。一方で前任校にいた時から早くも1年ほど経過したのかと、時間の速さに驚きと儚さのようなものを覚えます。
今回、また新たに職を探すということにあたって、今まで出会ったたくさんの人たちが助言をくれました。
「うちの人事部に交渉してみようか」
「希望のところがダメだったら、うちを検討しないか」
などとお気遣いをしてくださった方もいらっしゃいました。結果的に、自力で新たな職場を見つけることに成功しましたが、それができたのも心強い仲間がいてくれたからこそだと思います。
2.必ず成功しますと宣誓してしまう
職場を離れる際は、いつもそれなりの自信と次への期待をちらつかせて別れの挨拶をすることが多いです。特に、塾講師を辞める時は、念願の高校教員への移行だったこともあり、前だけを見て離職をしたような気がします。念のために記しておきますが、この時の塾の仲間とは今でも深いつながりがあり、一人ひとりに感謝しかありません。塾自体もずっと大好きです。だからこそ、懐かしさのような感慨に浸っていては進歩できないと思い、退職する時は、
「塾で得たことを活かして高校教員として必ず成功します」
というような意気込みを声高に発しました。
そのような離職の仕方をしていると、プレッシャーを感じたり、自分が情けなく思えたりすることがしばしばあります。
・あんな声高に成功を誓ってしまってそんなたいそうなことを口にしてしま
った以上は退けない
・必ず成功すると言ったわりに、その後の職場がそんなに続かなかった
有言不実行じゃないか
というような観念に押しつぶされそうになったり、これでは恥ずかしくてみんなに顔合わせができないよと思うことがあります。
3.恥ずかしがっている暇はない
私は度厚かましいのか、こんな現状ではみんなに顔合わせできないと思ったとしても、なぜか昔の同僚の中に顔を突っ込むことができます。現在の無職の生活の中でも、以前から書いているY先生のような交流のある仲間、近況を知っている仲間がたくさんいます。その仲間の方たちは、失業の私を知ってくれているからこそ、前述の通り、お仕事の心配や紹介をしてくれるのです。大変有り難く、心強いことです。
私の人脈で「素敵」な存在なのは、仕事の心配までしてくれるほどの親切心を抱えている仲間たちなのは言うまでもありません。しかし、仲間との関係を維持できていることに関して、強いて私側が要因をいうならば、どんな状況になってもありのままの自分を見せるける力、いわば「厚かましさ」が挙げられると思います。
前職を離れる際とその後ではいろいろと条件が変わっています。だから、恥ずかしがらずに直近の自分をさらけ出そうと思います。自分で自分が「落ちぶれた」と思っていたとしても、意外と周りは何も思っていない、いやむしろ親切を働いてくれるものです。
恥ずかしがらず周囲と協調してきたからこそ、自分だけでは縁のなかった景色を見させてもらえました。これからも、恥ずかしがらずにありのままの自分でコミュニケーションをとっていきたいですし、またありのままの他者を大切にできる自分でいたいです。