ざらつき
わたしは20代のころ、Nikon FM-2 で写真を撮っていた。
その頃は、絞りやISO感度や被写界深度などの意味は全く分からず
こんな仕上がりにならないかな、という想像でシャッターを切っていた。
むろん、フイルムの時代で現像されてくるまで、機械的設定と創造と指先の感覚の相関がわからないゆえの期待感、現像されてからの喜びと少しの落胆。そして疑問。
それまでの時間の溜めがあるのは、それらを想像するための楽しい時間でもあった。
娘が小学校に入学したタイミングで発売日にCANON EOS80Dを買い
十年以上デジタルで撮影している。
いまさらデジタルの利便性を書くつもりはない。
ただ、フイルム時代のISO感度の高いフイルムで撮影したざらつき感が懐かしい。
そのざらつき感は、ペコリーノロマーノやパルメジャーノレッジャーノを
すり下ろすチーズグレーターや、日本のおろしがねに似たような指先の感覚。
もちろん、デジタル処理でざらつき感は表現できる。
写真のざらつき感と、ジム・ジャームッシュのDown by Lawやパーマネントバケーション、ゴダールやクロード・ルルーシュの男と女、そんなざらつき感が好きなんだが。