荒木経惟の写真について思うこと
偶然見つけたKaoRiさんの告白についてかいてある文章。
それは、投稿者が要約した告白の内容と私見。
「そんな人だとは知らずに、その作品が好きだった自分は、、、」
と、かかれていた。
わたしは荒木経惟あったこともないし、話もしたことがないし
見かけたこともない。
テレビで(わがやにテレビがあったころ)動画と肉声を聞いたことはある。
くらい。
そのころお付き合いしていた、かのじょの誘いで、
品川の美術館にでかけたときに、はじめて彼の作品をみた。
部屋の六面に隙間なく飾られた写真。
息苦しさを感じながらも、すごく興奮したのを今でも覚えている。
それいらい、彼の作品には好きなものがたくさんある。
もちろん、何も感じないものもある。
それは、30年たったいまでも変わらない。
時を経た作品に作者の人格は必要なんだろうか❔
イマーシブ・ブラネタリュウム ゴッホをみた。
デフォルトされた彼の作品は単調な描写と色使いであるが、なぜか引き込まれるものがあった。
性格破綻者で、双極性障害か統合失調症といわれるかれの作品は
何でもかんでもインクルーシブと呼ばれる前から、庶民では買えないような
貨幣価値がついていた。たとえばだが。
何年も写真を撮っているが、
被写体によっては、かれのようにエロスを感じるように撮りたいと思う。
でも、わたしの写真には全くエロスを感じない。。。