なぜ人間は「美」を体験するのか。

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本日は、「なぜ人間は『美』を体験するのか」という問いについて、哲学対話を行いました。

哲学対話をする前に、私が最も深く考えたのは、「人間に普遍的な善悪は存在するのか」という問いについてです。自分の見解を要約しますと、最終的に人類の存続につながる行動が絶対的な善だと考えています。しかし、自分の行動が果たしてどのように人類の存続へ影響を及ぶすのか、知る由もありません。ゆえに、社会は「倫理」という不完全な近似を作ったのです。そして、絶対的な善悪と、社会共通の倫理観と、個人の損得という三角形の中のどこかで、個人の倫理観が生まれるわけだと私は考えます。

哲学対話当日は、「美」という概念と、美を感じる原因をめぐって議論しました。まず、私たちは「美」という概念の定義づけから議論を始め、美を分類しようとしました。それから、個人的にどのような状況で「美」を感じるかについて、意見を出し合いました。最後に、美の度合いについての意見や、美が自己満足であるという主張などが飛び交いましたが、話をそれ以上広げる時間がありませんでした。

私は、人間のありとあらゆる感情は、生物としての本能と、今までの経験とを組み合わせたものでしかないと考えています。その枠組みで考えると、マックスウェルさんがおっしゃっていた「美は新しいものに対して感じるものだ」という旨のお言葉が大変しっくり来ました。しかし、哲学対話が終わった後に、少し考えを改めました。思えば、新しいものに対して覚えるのは、美という感情に限ったことではありません。むしろ、喜怒哀楽の全ての感情が、美と同じように、感じれば感じるほど色褪せてしまうのではないでしょうか。したがって、「新しいものに対して覚える」というのは、美という感情の原因ではなく、ただの特徴にすぎないと思い直しました。

初めての哲学対話を終えて思ったのは、奥深いテーマについて短時間で考えを整理するのは、なかなか難しいということです。「美」という複雑な感情の本質を見極めるには、これからもっと考える必要があると思いました。

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