cakesで炎上した相談の件

14歳の女子が19歳の社会人男性と付き合って(?)いて、彼が避妊をしてくれない。そして彼は飲酒や喫煙をSNSにUPするタイプの人だとの事。

蝶野氏の回答内容で炎上しているがそれはどうでもいい。問題は色々あってだな。

そもそもなぜ日本では何かで一角の人物、公人、芸能人が普通よりも秀でた人格者、知恵者であると認識してしまっているのだろうか。これはテレビのコメンテーターという存在が影響しているのか?例えば弁護士、医者、元新聞紙論説委員。それらの人が自分の専門分野以外の社会の事をあまねくコメントする。最近は芸人もだ。別に彼ら全てが人間としてなっていない、と言っているわけではない。社会一般として発言内容ありきではなく、人物のブランド、肩書ありきになっていないだろうか、という事。アメリカでは履歴書というのが無い。あるのはレジメ。会社にとって何が出来るのか、というのが大事。なので転職歴も年齢も関係無い。逆に技能を身につける為に頻繁に機会を求めて転職した方がいい。しかし日本では履歴書、年齢を重視する。何が出来るか、の先。そういった人間性よりも先に履歴書、肩書バイアスがあって初めて発言を認めてくれる。そんな社会だからこそ起きている炎上だ。この炎上を起こしている人達は本当に信念を持って日常生活で人の肩書、履歴書バイアスで人を見ていないと言い切れるのだろうか。soraの理事問題があったが、そもそもソーシャルグッドビジネスを運営している人間を見ている、と自信を持って言えるのだろうか。soraには失望しました!と言っているような人に蝶野氏を批判する資格はない。あなた達がこのような人間性を無視して肩書やポートフォリオで人間を判断する社会を作ったのだから。

次に、14歳がなぜそんな19歳と付き合うのだろうか。今回は家庭やお互いの精神という個人の問題は深堀りせず、別の視点で。若年に限らず、自分に自信が無くアイデンティティーが確立されていない時に何か普通と感じない特別な人と付き合う事で自分も特別な存在になった感じを得て心の安寧を得るという事がある。(もちろん、全てがその感情というのではなく恋愛感情の一部根底として)

不倫をする時(愛する子供、妻がいても自分が選ばれている)、学校の先生(皆の先生が自分だけを選んでくれた)、芸能人(特別な人に選ばれた)

等、こうした感情によってそれを恋愛感情とする女性は多い。そんな中、こうした悪い男に惹かれる女性は一定数いる。これも(特別な私)ではあるが、そもそも上記の例とは少し違うのは所謂「悪い、不良」タイプという事だ。もちろん、男女とも未成年のこのタイプが付き合い、妊娠して悪を卒業して必死に働き幸せな家庭を築いた例もある。しかしこの相談者の例は違う。上記の例の人物達と決定的な違いは当該男性が一定レベルの社会的地位、評価があるか無いか、という事だ。なのでわいせつ教師も実は人気教師だったり、ベテランだったりする事も多い。不倫をする人も子供がいる人も多い。芸能人はそこそこ売れている人が多い。

しかし、そうではない悪い人に惹かれる女性はどういう事だろうか。それで自分が下がってしまう結果にもなる。これが大人の女性であれば自分が改心させよう、立ち直らせようと思うメサイア・コンプレックスもありうるが、14歳ではそこまで自分に自信を持つ救済経験は無いだろう。これは日本社会の思想がメディアに支配されていて、「悪=かっこいい、仲間には誠実」というイメージで売り出しているからだ。で、メディアには元(元?)半グレの社員、役員を多く抱えている活躍しているイケメンが多い事務所が力を持っており、そのイケメン達を不良にしたドラマ、映画をずっと量産している。そんな中、女性達は「イケメン=芸能人=不良=自分にだけ優しい」というスーパーコンボのバイアスを埋め込まれてしまっている。アメリカにもそういう時があった。悪=かっこいい、と。しかし2PACが殺害されたり、といろいろあってメディア側が変わった。悪側の事情を描く事もあるが、結局悪は悪であるようにしている。有名な黒人達も変わった。暴力的な悪イメージを止め、セレブイメージだったり、社会を全うに批判するようになったり。しかし、日本はどうだ。ずっと不良=かっこいい。悪(ワル)に憧れる若者の多さ。

これらは半グレ、ヤクザとつながりがある芸能界、そしてマスメディアがずっと流し続けている自己肯定の植え付け。そのバイアスにとらわれてしまっている女性達。この影響が大きいのだ。

しかしこの長年に続く「不良=かっこいい」が現実社会で無理になりつつあるのも事実。なぜなら大人になって色々な社会を見る事が出来た人は(大人でも見れない人もいる)、不良は不良である事を知るし、その被害も受ける事もある。若年層でも多様性の中で一定のイメージに囚われる事の危うさを体感として知っている。しかし、社会全体のマジョリティー概念として「不良=かっこいい」を全否定できるだろうか。あのイケメングループ、事務所を否定できるだろうか。あの人気芸人を否定できるだろうか。ここに不良、悪(ワル)=かっこいい、というまだおバカな層と嫌だが結局彼らは好き勝手やっていてなおかつ成功している、と認識している層にわかれる。

思えば、「鬼滅の刃 劇場版」がヒットしたのはこうしたはっきりしないフラストレーションの明確な答えがあった事も大きいと思う。煉獄杏寿郎という存在。力あるモノが不良になるわけでなくその力を弱者を救うために使う。実は社会を構成する人達が求めている憧れる人物像とはこういう事だったのではないだろうか。

とにかく、テレビは日本では子供に見せない方がいい。これは確実に言える。

なんて色々考えちゃう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?