『青髭 -La Barbe Bleue-』の出演記録
ごきげんよう、小池 ウランです。
去る2018年10月31日から翌月4日までの5日間全9公演、劇団Tremendous Circusさん『青髭 -La Barbe Bleue-』に出演しました。ご来城いただいた皆様、誠にありがとうございました。
仕事の忙しさにかまけて、こういった文章を書くことが久しぶりですね。出演や制作した作品、観にいった作品それぞれに色々考えていることはあるんですけども…今回は熱量あるうちに。私にとって非常に思い入れがある役&どうも不可解な役だったと言われたゆえ、早め早めに筆を取りました。校正していない、勢いの文章=小池節全開です。乱筆拙文ご容赦を。
本作に関する事前情報
主に、まだ本作を見ていない方々へ
これからDVDの発売や観劇三昧での公開があると思いますので、まだまだ本作をご覧いただく機会があるかと存じます。そのため、どんな舞台だったのか?ということに、触れておきたいと思います。
DVDはここから購入できますよ~。
■ 劇団Tremendous Circus(Twitterで公開していたスライドの引用です)
劇団Tremendous Circus(トレメンドスサーカス)さんは、ゴスロリ衣装を着て、暗黒童話・怪奇幻想などを題材に、耽美派で頽廃的・中性的な、人の心の痛みを叫ぶ熱い演劇を創る、東京の劇団です。
暗黒童話、と挙げていますが、グリム童話や古典戯曲を原作とし、新解釈でまとめ上げた作品を上演しています。
「屈折した心の闇を丁寧に紐解いて、その絶叫の代弁をする」というベースがあります(強い意思は是非、劇団HPの「劇団紹介」をご覧ください)。そのため作中では、日常なかなか口から出せないネガティブで陰湿な叫び、悲観・偏屈な言葉が多く登場します。
エンターテイメント系の舞台です。華麗に、大胆に演出されるシーンが多々あります。前回の雪白姫では「血糊が飛ぶ」「雪が降る」「客席に証人たち(登場人物)がいる」といったことが起きました。観客席含めシアターは、物語が始まった瞬間から全てが『お話の中』になります。
ジャンルはミステリー要素を含む、ダークファンタジーです。暴力やエロシズム描写は直接的であれ間接的であれ、あります。…コメディ要素はありますが、ハートフルボッコタイプです。
前作の『雪白姫』からお世話になっており、その時は王子役で出演させていただきました。雪白姫もDVDと観劇三昧での映像公開があります。→11月11日夜に、観劇三昧でイベントがあるようです。雪白姫も終わってから「何か書く」と言ったわりに何も書いていない…。
■ グリム童話「青髭」(Twitterで公開していたスライドの引用です)
あらすじ ――
その風貌から、“青髭” と呼ばれる金持ちの男がいた。その男に嫁ぐ女性は、ことごとく行方不明になっていた。
その青髭の城に、また一人、とある兄弟の末娘が新妻としてやってきた。「青髭は恐ろしい人物だ」という噂と違い、青髭は新妻に優しく紳士的に接した。新妻は幸せな日々を送った。
ある日、 青髭はしばらく家をあけることになった。 青髭は新妻に城の部屋の鍵束を渡し、自由に部屋を使っていいと言った。そして鍵束とは別に金色の鍵一つ渡し、この部屋は絶対に開けてはいけないと言った。
新妻は城にある部屋を見て回った。どの部屋も素晴らしかった。しかし、どうしても金色の鍵がついた、地下室が気になって仕方なかった。新妻はとうとう好奇心に負けてその部屋を開けてみると、そこには前妻達の亡骸が壁に吊るされていた。「あっ」と驚いた新妻は、金色の鍵を床の血溜まりに落とした。鍵を急いで拾って拭ったが、血が鍵に染み付いて消えない。そうこうしていると、青髭が帰ってきてしまった。
新妻は鍵束を青髭に返すが、血のついた金色の鍵だけ返せない。青髭が新妻に詰め寄ると、新妻は血のついた金色の鍵を恐る恐る青髭に渡す。青髭は、言いつけを守らずに部屋を開けた新妻を殺そうとした。「死ぬならば、最後のお祈りをさせてください」、新妻は青髭に乞う。青髭がそれを許すと、新妻は城のてっぺんまで登った。そして、外へ向かって叫ぶ。「お兄様、助けて!」すると彼女の兄である騎士達が駆けつけ、間一髪で新妻を救い出し、青髭を殺した。青髭には跡取りがいなかったので、新妻は青髭の全ての財産を譲りうけ、幸せに暮らした…とさ。
※上記のあらすじ以外にも、いくつかお話にパターンがあります。例えば、各部屋の扉の向こうは別世界だったとか、殺されそうだった日がたまたま兄らが尋ねてくる日だったとか、兄である騎士は全部で2人だったり3人だったり。新妻は姉妹のうち妹で、姉が先に嫁いでいたり、そもそも姉がいなかったり。
原作/グリム童話収録の「青髭」は客観的に描かれたお話に見えますが、お話の構造を読み解くと、主人公=新妻です。好奇心旺盛でうら若き女性は兄弟の末娘、実際には2人が騎士である兄、そして姉が1人います。本作も、姉がいます。
本作「青髭 -La Barbe Bleue-」について
まず、公演前に私から事前に投げかけていた、原作に残されていた謎について。本作は、このあたりの謎を”ある程度”解く方向で描かれていました。
――主人公は“なんやかんや”で青髭の元に嫁ぐのですが、この“なんやかんや”が釈然としません。青髭がこの女性に求婚する行動も、お話ではやり過ぎに感じて、釈然としません。不従順な女性について書かれたお話しであるといわれていますが、それでは何故、新妻が最後に金持ちになって幸せに暮らせてしまうのか、ここも釈然としません。(Twitterで公開していたスライドの引用より)
――童話というか、物語とは往々にして教訓めいたものがあるものです。しかし原作「青髭」には、新妻が禁断の扉を開けてしまうという悪い行いが、最終的にハッピーエンドへつながっている。これがこのお話最大の謎であると、私は考えています。また、塔のてっぺんから兄へ助けを呼ぶだけで、なぜ兄はバッチリのタイミングで新妻を助けに来たのか?他の行方不明の妻たちはどうしてこの城に来たのか?お話は謎だらけです。(3日目以降の前説、「少しばかり時間があるので、小話を…」という時間が取れた時だけお話していた内容)
これから観られる方は、上記の謎も頭の片隅に入れておくと見やすいかもしれません。
次にネタバレを避けながら…本作のポイントをご紹介します。
▽命とは、全て同じ"重さ”なのか
脚本家の田中円さんの言葉を含めながら申し上げると、本作は前述に紹介したグリム童話の青髭をベースに、殺人や死というテーマ等を仕込んだものになっています。そして仕掛けの一つとして、殺人鬼・青髭の人生…言葉には、猟奇殺人犯あるいは凶悪犯として名の知れた国内外の人物らがこの世に残した言葉が、多く登場します。殺人鬼は多くの命を奪っていて罪深い。しかしその背景には壮絶な人生や経験がある。一方で被害者や遺族には、殺人によって失われたものがあり悲壮な現実がある。ある人には死が甘美で希望あるもの、ある人には死が怖く引き裂かれるもの。道徳と倫理と感情と現実、同情と非情の間で「命とは」をもう一度考えられる作品です。
▽負の連鎖と葛藤
本劇団が訴えかける、社会問題の1つです。ただ単純に、体罰や虐待は反対と訴えているわけではなく、暴力をする側される側の心情を、童話が語られている時代背景と重ねながら巧みに描かれている作品です。なお、暴力の連鎖が、罪を犯す要因になっていることを肯定しているわけではありません。
▽愛する、とは
生物は多くの場合、愛すること/愛されることについて本能的なものであり、明示的に教えて貰わないものだと思っています。その中で特に人間という種に限っては愛の行動を体得して表現せねばならず、愛を描く/愛を語る/愛を注ぐ…ということがどれだけ手探りで、そして、いかに飲み込んで腹に落とすことが難しいか…本作の登場人物全員を通じて感じました。 (ちなみに小池は、本作の「愛する」という行動が全て、"蔽う”、という言い方ができるなと思いました。「おおう」と読みます。意味は3つ、「上からかぶさること」「隠して守ること」「空間を満たすこと」。言葉の捉え方は、本作を見た方の注目点で変わる気がします。)
■ 観劇いただいた皆様のご感想
Twitter上に投稿された感想はこちら
Corichにも感想いただいています
これは小池の印象ですが、アンケートの感想欄について…他の舞台では、なんとなく「誘われた出演者を褒める」だけで終わるが多いのですが、ここの劇団では「出演者を褒める」だけでなく、作品に対する考えや全体の演技・演出に関するコメントを添えた感想をいただくことが多いと思います。アンケートの回収率も高い…あくまで印象ですが。観劇いただいた方々の多くが作品に対して衝撃を受け、何かを考えていただく機会になっていることは非常に嬉しいです…。
物語に関係する時代背景と年表
知っていても知らなくても大丈夫な情報です。
1.時代背景
グリム童話『青髭』は、原作者ペローがジル・ド・レという実在の人物をモデルに書いたのではないか、と言われています。ジル・ド・レは百年戦争時代にジャンヌ・ダルクと共に戦った『救国の英雄』です。そして、凄惨な事件性からサディストの代表格として、児童大量虐殺犯『聖なる怪物』としても知られています。本作でも、ジル・ド・レの一生と、彼の周辺人物と周辺環境が物語の前提にあります。
百年戦争を超今風&超簡単に説明すると(小池節)、以下のような感じ。
1339年、イギリスが試しにフランス占拠してみようと思って始めた戦争。ペスト流行るし、国内では王位継承で揉めるしで荒れまくった結果、フランスはイギリスに国土の半分も持っていかれた。そんなピンチに現れたジャンヌが、頑張ったらみんなやる気出して巻き返し、火刑になったから国内が上手くまとまって、最終的にフランスがイギリスを追い出して1453年に終戦した。
本作はフランス軍の危機的状況の辺りから描かれていますが、童話ベースなので完璧に史実に沿った内容にはなっていません(例えば、ジル・ド・レの祖父 ジャン将軍は、本作で登場する国王 シャルル7世と対立する派閥でした)。
ジル・ド・レが活躍した15世紀、貴族の力関係は財力、特に領地の大きさに関係していました。貴族の女性達は良い生活を送れる環境であっても、政治的な理由や領地拡大を狙って政略結婚や誘拐婚をさせられたり、領地略取のための人質になったりと、意にそぐわない生活を強いられることもありました。その際、女性は夫に対して盲目的な従順であることが強く求められました。一方、中流階級以下になると女性が卑下されることは少ないのですが、貧困している家庭や戦争孤児等の立場が弱いものを対象として、人身売買や犯罪が行われるといった治安の問題がありました。
2.年表
登場人物らが含まれる年表をここにおいて置きますよ。あくまで史実と本作の重なり合う部分のみを示しておきます(間違っていたら教えてくださいね!)。
※()はジル・ド・レの年齢
■1337年ごろ:百年戦争勃発
■1404年(0才):ジル・ド・レが誕生。
■1415年(9才):父が狩猟中に死去、相次いで母マリィが居なくなったため、祖父であるジャン・ド・クランがジルの後見人となる。
■1424年(18才):ジル、宮廷入り。翌年、軍人として初陣を踏む。
■1429年(23才):ジルが当時17才だったジャンヌ・ダルクと共同戦線をする。ジルは元々ラ・トレモイユの指示でジャンヌの監視役とされていたが、ジャンヌの生き様に感化され、ジャンヌへ協力するようになる。
■1430年(24才):ジルが戦線を離脱後、ジャンヌ・ダルクがパリ攻略に向かう最中落馬してイギリス軍の捕虜となる。
■1431年(25才):ジャンヌ・ダルク、異端審問の結果、19才で火刑に処され死亡。
■1432年(26才):ジャン・ド・クラン死去。同年からジルの放蕩が始まり、ラピュセルを題材とした演劇に莫大な資金投資を行い始める。あまりの浪費振りに、途中で土地の売却を禁止されるほど。あわせてこの頃、聖歌隊の少年らに手を出し、児童虐殺が始まったと言われる。
■1435年(29才):オルレアン地方で、ジルによる大量児童虐殺が噂される。ジルはこの時点で資金が尽きかけており錬金術に傾倒、既に多くの詐欺師にだまされていた。フランソワ・プレラーティ(F.P)が現れたのもこの前後の時期であり、F.Pはジルに錬金術だけでなく悪魔崇拝を教えたとされている。
■1440年10月26日(享年35才):不可解な教会襲撃事件を起こし、逮捕。素行調査の結果多くの罪が暴露され、殺された児童の人数は一説で800人以上と言われる。裁判の結果、貴族として不名誉な絞首刑となり、ジル・ド・レ死亡。
■1453年:百年戦争終息
■1697年:グリム童話初版『青髭』公開
本作の登場人物の中でも、明確に歴史上の人物として名前が出てくるのは「(ジョルジュ・ド・)ラ・トレモイユ」、「ジャン・ド・クラン」、そして「フランソワ・プレラーティ」でした(「マリィ」は実際に、ジャン・ド・クランの娘として存在しますけどね)。また、ラ・ピュセルは「オルレアンの乙女(la Pucelle d'Orléans)」のこと、つまりジャンヌ・ダルクです。
登場する者たち
ここからは、本作を観た方々へ
年表の方に、実際にいた人物の話は書きましたが、その他の登場人物について。妻達については、劇団が投稿している【あれこれ】にも書いてあります、こちらも是非覗いてください。
■ エグリ:酒鬼薔薇聖斗のイマジナリ・フレンドの名前。ちなみに歴史上のジル・ド・レには弟のルネが居たそうな。
■ ユディット:バルトーク作曲の、バラージュ・ベーラ原作の唯一のオペラ『青ひげ公の城』に登場する、全ての部屋を開ける妻の名。このオペラも、本作では重要な描写を担ってます。
■ 5人の妻達とアリアーヌ:ポール・デュカス唯一のオペラ『アリアーヌと青ひげ』という作品から。3幕で構成されており、本作のお話の展開はこのオペラも非常に重要な役割を果たしています。
■ ヴィヨン:前説で本作における最大の役割が一瞬ペロッと話されているが、たぶんフランスの詩人、フランソワ・ヴィヨンからとっているっぽいですかね?(円さん曰く、ジル・ド・レの弟、ルネの要素のあるのだとか)
■ ルイス:年表のほうでも良かったかも?たぶん、ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユの息子なら、ルイ1世(表記の対応名がルイスになる)かなと?
前述もしましたが、青髭の台詞には様々な殺人鬼の言葉が登場します。酒鬼薔薇聖斗、宅間守、畠山鈴香…ほかには、海外の殺人鬼の記録もちらほら。青髭という人間一人には、殺人へ至った人間の記録と記憶が詰まっているのだそうです。このあたり、台本購入された方は末尾の参考文献一覧があるのでご覧ください。台本に参考文献が添えられている劇団を他に見ないので、円さん凄いなって思います…。
作品に関連する自由奔放な感想
これ以降は、作品の感想を書いてみます。私自身の役については、興味があれば後編をお読みください。
それで。思いつくままに書きますが…
本作もだいぶ真っ黒な、それでもあくまでファンタジーでしたねぇ。そもそも青髭の原作自体が暗くて残忍すぎる話なわけで、そのダークさを華として他の劇作家がオペラや舞台を作っているのですが。トレメンドス流になると全体を通じて言えば耽美、しかし構成としてはシーンの緩急がジェットコースター、荒々しさと繊細が同居した台詞のぶち上げが見飽きさせない、流石の舞台でした。考察や解釈しようとするならば尽きず(単純にネタに対して察しろって感じてもなく良く練られた構造)、思考を止めてもダンスや歌や殺陣が楽しませてくれる、エンタメとして出来上がった感覚。
青髭公の城は外界からの流入を受け入れつつも流出を許さない様が、いつか爆発しかねない青髭の心情を表現しているようでした。いつか城の全ての部屋が、記憶という名の重圧に埋まってしまうような…地下室の「でももうすぐラピュセルが復活するんだ!」という青髭もといenさんが、夢を盲目に追う男児の様だったことが毎公演気味が悪く、至高だなって思ってました。
その真っ黒な城へ訪れた、真っ赤なアリアーヌ。黒の海へ一滴の赤色が赤い海を作るのではなく、色とは何んであるかをといてゆく。希望=光と表現する場面が何度もありましたが、私にとってアリアーヌは、希望というよりも盲目を直すための導師という印象でした(唯一、儀式直前のユディット「何故、人は人を好きになるのかしら」が光に見えた。光というか、希望として光ろうとしている感じ。このシーンも非常に好き)。ソレとは全然関係ないですが、アリアーヌもといアカバネ嬢の自己紹介「弱きを挫き強気も挫く、貴様の事情もなんのその」が名言過ぎると思っていますw…ヒロイン、ね。ラピュセルが追い立てられる様に前へ進んだヒロイン、ユディットが歩みを緩めて止まることも辞さないヒロインなのに対して、アリアーヌの前傾姿勢・後続配慮無し・前にいるなら邪魔だ吹っ飛べ!という勢いはヒーローでしたねぇ。
原作「青髭」の主人公が青髭じゃない話は前説の小話でしていましたが、本作の主"人"公は青髭だったんでしょうか。難しいことを言いますが、青髭という名前を関した誰かだったのだという感覚が舞台終わった後も続いています。アリアーヌだったのかといわれればアリアーヌの冒険譚にも見え、ユディットだったのだといわれればユディットの悲愛譚にも見え、しかし青髭だったのだといわれると一人の"人間"がいたというにはどうもハードルを感じる、不思議です。この気持ち悪さは、なんとなく前作『雪白姫』の黒妃に感じたものに似ている…。
ふと公演中、別舞台の話ですが「汝公正たれ」の公演で見た、裁判官(観客)の下す死刑の難しさを思い出しました。白い紙に、死刑と2文字書くだけの数秒を逡巡する、あの瞬間です。懲役年数を書くにしろ、無罪(精神衰弱判断)の2文字でも、惑わされてしまいます。その迷いは、殺人犯の今後を思ってなのか遺族や社会を思ってなのかで違うと思いますが、結局「誰かの納得」を盾に手段として死を用いるのだと気付いたら、ペンが止るんです。脚本家の円さんも、「ラストシーンでトレモイユの死にスッキリする観客の気持ちは、殺人犯が誰かを殺すということと違うのか?ということを投げかけている(意訳…)」と言ってました。
倫理には3つの種類があります。功利主義(最大人数の最大幸福)、義務論(神や理性が定めた掟――嘘はつくな、人を殺すな、盗みをするな等)、徳(義務論のジレンマ――例えば、嘘をつかなければ人を殺すことになる場合――を解消する考え)です。基本的に現代人は3つの倫理観について都合y…うまくバランスをとりながら、状況にふさわしい選択したという徳に基づいた言いわk…納得ある行動によってて生活をしています。倫理観は、社会での共通認識、社会の…「誰かの納得」で成立しているのです。でも、「誰か」って誰なんですかね。この「誰か」が見えなくなった時、死刑の2文字が書けなくなる。逆に「誰か」を見誤っても、きちんと見えてしまった人間が人を殺せるのかもしれませんね(意味分からん文になった)。
シーン毎の感想
個別具体的に。でも台詞の全文は書かないよ!まずは特に心に響いているシーン。
死の日曜日 with ルイス「何度でも、何度でも生まれ変わり、いつか必ずお前を止める!!」
セリゼットもといオペラ歌手きょんちゃんの歌う『死の日曜日』がグイグイ空間の熱量を上げていく、その間奏中に入るルイスと青髭の台詞。特にルイスの台詞は本作の時系列錯誤を紐解く重要な台詞であり、物語の始まりから終わりを繋ぐ力強い声Jin君が言う様、超かっこよくて最胸熱でした。もち、その直後の青髭の「死のDIVAよ!」も最高かよ!!
ユディット「――ねえあなた生まれ変わったら、普通の夫婦になりましょうね――」
夫婦の愛を語るときに、果たしてこの行(クダリ)はありきたりと感じるだろうか。眼前に広がる湖、寄り添い語りあうユディットと青髭。ただ何も見えなくても(私は幕裏の闇で一人ぼっち)静かに響くその言葉が、個人的にはこの作品のもっとも愛があり、愛であると思っていました。稽古中は涙が出た唯一のシーン、本番中も幕裏で神経尖らせている最中に聞かされて心がかき乱されることよ。知乃嬢演じるユディットの緩急の"緩"の真骨頂、言葉並びの美しさが脚本家・円さんの勝利、加えてDee Lee兄貴の音楽が湖畔の空間の広さを連想させる…本作を代表する名シーンでした。
青髭「怖い、死にたくない――」
誰の言葉でもないはずだったもの。今まで殺してきた全ての人間の声を背負って発せられる、死ぬ間際の言葉として当たり前で、抗いがたく、圧し掛かる言葉。これほど耳に染み付く音程と長音を含んだ言い方があるだろうかと、男児のわがままのようであり、複数人が這って言う声のようでもあり、ただ初めて誰かに助けを求めるため上げた産声のようでもあり。enさんの演技は記憶に爪を立ててくるなと思ったのでした…。
次に、好きだったシーンをいくつか。
小さな青髭「僕はお母さんのようになります。愛しています。」
台詞だけ見るとこれだけ。これだけを、どうしてみかんちゃんはあんな狂気で言えるのか。実際に観た人をギョッとさせるほどの高音で幼い叫びが、耳に残っています…。メリザンドもなかなか of なかなかだったが、私はあえてこちらを選ぼう。
青年青髭VSルイス 殺陣
このシーン、最高に痺れたんです。ルイス(Jin君)から漏れる焦燥と慙愧の叫び、5人の妻たちの声で聞こえる青髭の叫び、その中を飄々とした様子で剣を振りルイスの剣を避ける達都は非常にかっこよかったぁ!空間を満たすスピード感に悠々とついて行く落ち着いた構えが、ルイスの動きと対比されてきちんと表現されており、見てて緊迫感の強い殺陣でした。
トレモイユ「と。その言葉を待っていた!」
絶対びっくりマークが1つでは足りない件。トレモイユ役のヤマモト氏が非常に怪演だったわけですが、このシーンの緩急を越えた名演技は彼にしかできなかったと思いました。前半のキモイ親父風や直前のクソふざけた国王真似を置き去りにし、たった「その言葉を待っていた!」だけで宮廷侍従長へ上り詰めた男の執念(強力な"悪"性)が、唯の"馬鹿"と吐き捨てられない存在感が、表現されていたと。
ラピュセル「もしも私が預言者でないなら、神様、――」
ダブルキャスト、この処刑シークエンスが最も2人の色の違いが出た部分だと思いました。らんらんが使命感を杖として一途に前へ進んだ悲哀の乙女だとすれば、桜花嬢は剣を前へ突き動かすことに救いを求めた非情の乙女。聞いていて気持ちいい位置に私がいたので(ちょうど上サスを仰ぐラピュセルが見れる)、2人とも目に刻まれるシーンでした。
アリアーヌ「――女の一人も幸せにできねーで、それでも男かよ!」
大人気「秒で開けたわ」とか、迷言パレードのアリアーヌの台詞の中でも個人的に最押し。というか、アリアーヌ発言集でもここの説得シークエンスは群を抜いて難しい台詞達だったと思っていたので、アカバネ嬢のアリアーヌの熱演が炸裂する良きシーンでした…。
イグレーヌ「もっと、私におくれ、――」
豊満なボディを拝み倒し、揉…触り倒した後に聞いたこの台詞。ちょうど奈落に下りながら聞いていたわけですが、エロいよね(至言)。イグレーヌを演じた蟻巣嬢は台詞というよりは姿のインパクトが強くて、煌びやかな紫が映えるいい女だったなぁ…。
ベランジェール「ああ、まるで物語のお姫様みたい!」
どの女達よりも夢見る乙女ベランジェールの台詞は、ダブルキャストでまた違いました。結婚するしかなく消耗した若さを嘆く新妻・千月と、結婚で身をおくことに妥協した人妻・来栖。実は(来栖も言っていたけど)5人の妻たちの中でベランジェールだけが登場も回想も特殊なんですよね、周りが見えていない(周りが居なくなっているレベルで見えなくなっている)感覚が。図られたシーンか否かは不明だが、それぞれの自由な演じ方が彼女らしさを好演し、特にぶち上げるこの台詞が絶頂でしたねー。
ジャン&青髭「勇者になりたかった、だけど、いつしか俺は――」
そもそもこの台詞自体が非常に心に響くのだが、ここもダブルキャストで感想が変わった。まず、この台詞を言う青髭とDee Lee兄貴が演じる力強いジジイ・ジャンの声が対照的で。ジャンはあくまで自分のことを把握して前に進み将軍となった漢のソレ、青髭も元帥になったはずだが立ち止まってしまった未熟者のソレだったように聞こえたのです。ジャンと青髭に祖父と孫の差があるのは承知ですけれど、計算しつくされたシーンだなって思ってました。他方ぴろりが演じるジャンはこの台詞に後悔の念を、またこの台詞後の「いつもじいちゃんはお前の手を引いている」にて青髭への愛情を感じる言い方が非常に巧妙で、あくまで祖父としてあろうとした姿が印象付くシーンでした。
マリィ「――死んで、死んでくれない?」
今回、本当、マジで、あぁ、マリィはたていしにしか演じられなかった役だよね…。神がかっていたと思っています。無理だよあんなん、語彙力無くすぐらい羨ましい演技力だと思ってるんですよ。高笑いシーンも、ギャグシーンも、シリアスシーンも、あれだけできて劇団員じゃないんですか?
ヴィヨン「――悪魔、悪魔め!」
前作では多く登場した手法なのに、今作では唯一かな?長台詞の一人語りがあったヴィヨン。瀬田氏はほぼ初舞台ってことでしたが、感情が高まる一人の芝居はとても難しいので(前回私は苦労したから)、大変だったのだろうなぁと。最大級の感情になるこの台詞、勢いがなければ言い切れないので良いフィニッシュでした。
エグリ「魔物として生まれてくる子供なんて一人もいないわ、お願い、お姉ちゃん。」
個人的に悔しかったシーン、小濱嬢がここまで仕掛けてくるのかと。クライマックスへ誘引する台詞のひとつだからこそ、絶対に外せない重い言葉を「よう演じくれはったわ、コンチクショウ」と思ってました。
考察会(適当)
その他、雑感的に小池考察の文章を。円さんからちょこちょこ話を聞く機会はあったのですが、自由に書いています。劇団公式でも話される気がするので、そちらもご覧ください(筆が持ち上がれば、後から他の話も追加するかも)。
…で、1回見て明らかに気がつく不思議なシーンって、プレラーティの回想終わりのユディット台詞「こうして青髭は、とある方法で悪魔を呼び出すことに成功した」の部分だと思うんですよ。『とある方法』って何ぞと。この直前のプレラーティの言葉を思い出すと…「お前(青髭)と血のつながった人間のイケニエを望んでいるんだ」と言ってます。プレラーティのイカサマじみた態度を思い出し、その言葉が嘘だとしたら…というか嘘という前提にすると、あそこまで神妙な台詞やシーンが必要ですかね…?とすれば、1つの仮説。『実際に血のつながった人間のイケニエを、青髭は用意できたのではないか』。
シーン変わって、マリィの回想。ジャンがこんなことを言っている、「その血で悪魔と契約を交わせ!」。マリィは確かに血のつながった人間だから、マリィをイケニエにしたのかもしれません?しかし、ラピュセルもといジャンヌ・ダルクの死後とジャンの危篤の順番に誤りはないが(1年後)、プレラーティとの出会いはラピュセルの死後から大分(とはいえ推定2年)経っている。ジャン死亡後にマリィは置き去りだったのか??というか、悪魔召喚とジャンの流れに違和感がないか??等を順当に考えると中々話に整理が付きませぬ。
翻って5人の妻達。良く考えなくても、通常の時系列で考えたら青髭の一生は短いので、ちょっと5人を妻にするには時間が足りない。そこで出てくるのが時系列錯誤でした。…という経緯で、時系列錯誤には気付けたいのですがどうやら描写上で分かる所があるんだそうです。
(追記)
ツイキャスで少し話が出ていましたよ。ただ、話が複雑になるので省略されました(え)。特に5人の妻の時系列がかなりばらばらなのだそうです。少し調べましたが、少なくともセリゼットは17世紀以降(「2階の予約席」のイメージから、多分プロセニアム型の舞台と推理して16世紀後期以降、オペラであると限定できれば、オペラ自体が17世紀初頭以降)でした。
あと、悪魔召喚の血は時系列錯誤が成立していればエグリの血でも、自分自身の流した血でも成立するように書いてあるのだそう。なるほど、言われてみたら確かにできる…!
…エグリの「劇にお金かけすぎ」のクダリを傍から聞いていた時、エグリは青髭の妄想ということが公式情報で分かっているので存在を妄想のまま否定しえないのですが、マリィが死後も青髭に寄り添って児童を攫っていたのかは、色々考えものでした。マリィも、青髭に殺されてからは青髭の行動にブレーキを掛けうる幻影だったのでは。特に、ユディットが鳩に託させた手紙が元々青髭が書いたものであって内容が罪の告発であれば、地下室の青髭の態度はラピュセルの復活を純粋に望んでいる様に見えるので、態度の乖離が見受けられます。エグリ(良心)もマリィ(克己)も、青髭の心情だったのか…と、三人衆最後の刺客的には、ちょっと寂しくなったのは事実ですのよ。実際どうなのかはわかりませんけども…
フランソワ・プレラーティとはなんだったのか?
ここからは、役について語ります
ぶっちゃけやり過ぎなくらいの考察や役作りについて記載します。言い換えれば "無粋"です。人生、何事も腹八分目。それでも欲張りにデザートとして私自身の役の考察に付き合っていただけたなら、たぶん本作の見え方が少しだけ変わることは保証しますが、お口に合うとは限りません。そのあたりはご容赦を。また、基本的に書きっぱなしの文章なので、すっきりしないかもしれません。
=断り=
一応、小池が自分の役について/演技したことについて、ここまで書き出すのは人生で初めてです。上でもちょっと言ってますが、そういうの無粋だと思っているからです。他の役者さんでも、ここまで書いている人見たことありません。でも、今回は本当に特殊に感じており、下手したら「マジであいつはなんだったんだ?」っていうお客さんが出てもおかしくないなって思ってました。もはや、会場で配布されたパンフレットのコメント欄にも明示的に「特殊な立場です―(割愛)―妄想のオカズにしてくださいね」って書きました。そんなこんなで、ネタバレのこの機会に長文をしたためた次第です。
書くにあたり、色々悩みました。無粋にも領域というかレベル感があると思い。そのため、最初に書く「F.Pとはなんだったのか?」では、自身が拝命したフランソワ・プレラーティという存在についての説明と考察にとどめています。次の「小池がみたF.P」では、小池ウランとして本作で彼をどう捉えていたのか、どのように演じていたのかを書いています。読み進める範囲は、ご自身の判断でお願いいたします。
François Prelati (1420?~1445)
男性(性別不詳)。才気溢れ、美貌ある雄弁な若者であり、人を惹きつける強い魅力があったとされている。錬金術師とも、魔術師とも、司祭とも言われた。
ジル・ド・レと出会ったのはジャンヌ・ダルク没後、1435年ごろと推測。ジルに悪魔崇拝を教え、儀式には子供の血が必要として、ジルが従前から行っていた児童虐殺をより煽り立てた。その後1440年にジル逮捕時、共犯として捕まる(その際の年齢が20代前半とのことなので、生まれは多分1420年頃)。裁判では悪魔崇拝の実験の様子を語るが、殺人の関与は否定した。その結果、ジル・ド・レが死刑となるなか終身刑に留まる。終身刑として獄中にいた彼だったが脱獄、逃亡先の所領で官職に就くが、別の罪で1445年に死刑となる。
と言うわけで、ジル・ド・レに悪魔崇拝のための殺人を煽ったのはフランソワ・プレラーティでした。『青髭』という作品の背景だけで言えば、事の発端はラピュセル、事の元凶はF.Pなんです。って知っていると、すこーしだけ本作の見え方が変わるかなと。ジル自身は芸や学問に前向きな人間だったため錬金術にも興味があり、資金が尽きる前からも独学していたといいますし、児童殺害については悪魔崇拝とは別に性的興奮から殺害していた記録があります。ただ、元帥であるジルの弱みに入り込んで平然と生贄を要求し、城に居続けたF.Pは驚異的です。
裁判の記録中には、罪を否定するF.Pにジル・ド・レが優しい言葉をかけて今生の別れに泣いたとか、少なくともジルからF.Pへの並々ならぬ信頼があったことは察することができました。が、F.P自身がジルをどう思っていたかは不明で、大きな謎です。当時のジルの元にはF.P以外にも魔術師や錬金術師がいたそうですが、裁判前に逃げ出して残ったのがF.Pだけだったという話もあり(「他に行き場がなかった」という解説もあるが、それなら逮捕の翌年に脱獄して、しっかり官職についたりしないのでは)、その真意は図りかねます。
とりあえず…F.Pがジルの性的パートナーだった的な話もあるのですが、裁判記録の翻訳をしたバタイユが、翻訳の過程で文学的恣意的な性的描写を含めてしまってるかもよ?という論文読んで以来、性的関係があっても驚かないけどなかったかもねって思っています。性的関係があったとしたら相当上手かったか(ジルに会うまでの財力を考えると、いわゆる超高級男娼だったのでは)、それとも、バタイユの翻訳で「殺された少年達とF.Pは魅力という点で共通しているが、F.Pは自分の教養でジルに満足を与えていた」という部分があり、ジルにとって手元に置いておく価値が強かったのでしょう。
あるいは。…F.Pは「悪魔召喚ができる」と、裁判で証言しています。ただ本作でもそうだったのですが、「ジル・ド・レの前では一度も成功したことがなかった」、「悪魔にたたきのめされて怪我をし、喚いていた」という記録があり、歴史上のF.Pはやはり”悪魔召喚を騙った詐欺師”…ということなのでしょう。でも、単なる詐欺師であれば、裁判でこんな証言するでしょうか?そこで立つもうひとつの推理が、スパイだったのではないかという考察。若くして元帥に気に入られ、城で自由に過ごし、裁判で死刑にならず、脱獄して官職に就き、その後死刑になっている流れを汲んでも、この考察はちょっと信憑性あるかもなんて思っています。やったね、新しいお話1本書けちゃうね!!とはいえ、本作の成り行きを考えると、この設定は勿論ナシにしました。結論どうしたのかは、次の項で…。
そうそう。F.Pが何故、悪魔崇拝によってジル・ド・レを導くに至ったかは、篠田真由美さんの小説『彼方より』が好みでした。若干20才の少年が詐欺で生きる、それも羽振りが良く魔法使いと言わしめる多少豪勢な生活に到達していたのかは、個人的に謎でした。高級男娼だったのではって前述しましたけども、その描写は本作でないのでスルーです。で、アレコレ考えている折、F.Pと青髭の出会い頃の回想シーンのF.Pの心情について円さんに言われたのが「F.Pは早く儀式を終わりにして帰りたい」。おおぅ、私よ、帰りたかったのね。であれば生い立ちの考え方そのものは気楽でいいのかもしれない、という風にしています(後述で、この「気楽」を打ち破る…単純に、難しく考えすぎないって意味です)。
F.Pが持っていた本は、人皮装丁では無いけどルルイエ異本(クトゥルフに出てくるアレ)のイタリア語翻訳のつもりでした。マルコ・ポーローが拾得し、プレラーティーが翻訳して持ち出し、最後にナポレオンが持っていたという魔界の本。…は史実ではないですけれど、ちょっと知っていたら面白いですね(舞監の小島さんが「えー、人皮装丁の本作ります?」っていってくれてたんですが、これ作るとしたらどんなになっていたのか。あの本3kgあるので、本当に赤ん坊かかえている気持ちになっただろうなぁ)。プレラーティには妹の存在が確認できていませんが、人の血を使っていたことはなんとなく真実であると思って演じていました。
小池がみたF.P
[1.経緯]→[2.本作における私のF.P]→ [3.追記]という順に書きます。パンフレットで言いたそうにしていたことだけ読みたいという場合は、[2]だけで十分です。
■閑話休題
初めてプレラーティの役を拝命した時、正直、青髭の全登場人物を見渡して一番「普通の人だなぁ」って思いました。過去を描かれることもなく、見せ場的な台詞が(この時点では)あるわけでもない。どことなく自己主張しながらも、他のキャラクターより特徴が濃いわけでもない。
ギャグシーンが話の転換として凡そ真ん中に据えられているのを見た私は、自分に与えられた残念イケメン的役割を理解しました(ごめんねフランスパン)。明らかに、この全体的に暗い雰囲気の話に癒しを添える存在だと気付いてました。ま、実際言われもしましたけどね、癒しだって。台本開いていただくと分かるんですが、あのシーンの台詞の末尾にくっ付いてる“(適当)”には相当苦しめられました。本番、擬音語と変な動きをやってたと思いますが(ほぼその場の思いつきで動いていたため、いつに何やったかとか覚えてない)、稽古期間中は呪文を言っている私自身の笑いと滑りとの戦いでした。ね、「ジュデェイム、ジュゲェイム、ゴゴーゥンノスゥリキレーッ(じゅげむ)」が懐かしいですね。
――そんな感じでギャグセンスに苦しむことはあっても、役作りに悩む予定がなかったんです。予定、が。なんていいつつ、雪白姫の王子も舞台上がるまで見失ってましたけど…
■モブ役の完成と焦燥
本作では1言役含めて、多くのモブをやっていました。声の高さや言い回し、あと髪型からワイシャツの着方まで、それぞれ細かく分けてました。上手くいったかはどうかはおいといてね。挙げていくと、「①ソフィちゃんの追っかけ(動きと言い方がゲスイ感じ)」「②聖戦で最初に死ぬ人(周りは戦場、最大限にデカイ声で叫ぶ)」「③異端審問官(鼻につく音を出す、あと帽子で声も動きも篭るからヤタラ動く)」「④悪魔(声は低くする、因みに音程のとり方はenさんから派生したかった)」「⑤マンドラゴール(女声で叫ぶ!)」「⑥おっぱいの人(お祭り野郎)」「⑦女学生(ツインテールで、女版鼻につく声)」「⑧初恋の男(純粋に馬鹿っぽく言う)」の8役。悪魔が一番楽しかった。声にあわせて動いてもらえるから!こうやって挙げてみると、使い倒していただいた感じが最高。唯一の演技的特技に”声の音程を瞬時に変えられる”という能力が私にはあって、F.Pの時にもやっていましたけど、こういうのすごく楽しくて。ウランを分かって使っていただけたことは本当に嬉しくてですね…(否、やることを許していただいただけかもしれない)。
こういうモブ役って何を求められているかは比較的すぐ分かるから、相当役作りを拘らない限り難しくないと思うのです。一通り頭にモブを入れて、モノにして小休止と立ち止まって…気付きました。俺の本役は…F.Pぞ…!
焦りました。他の完成度が上がっていく中、F.Pは特別感のある演技もなく、演出家から小出しに言われる「花を捲け、花を!(隠喩)」に苦戦する。改めて気付いたのは、私がF.Pを何者か分かりきってない、ということでした。当時、私は彼が歴史上の人物であり、ジルに悪魔崇拝を教えた人物であること以上に興味を持たないことにしていたのです。理由は、本作は本作だから。例えば本作が史実に基づいたものであったなら、F.Pについてよく知って成りきろうと思います。しかし本作は童話であり創作であり、歴史上の人物名を冠するのは青髭=ジル・ド・レということを成立させるためだけであって、とりあえずこの世界で求められている役割を果たすことだけを考えていました。今思えば、非常に未熟でした。
■F.Pに想いを寄せつ
出演作の時代背景の勉強をしたり、いただいた役に関する創作――どこのどんな家に住んでいてどんな生活で…ってやつ――はしてきましたが、それよりも大前提として自分の役について調べたのは、これが初めてでした…。その成果が、要するに上述した内容です。
因みに調べた一発目の私の感想は「は?謎しかないじゃん(歓喜)」でした。記録が少なすぎて、謎が多い。私は深読み厨ですよ、謎があれば解かずにはいられない。そして正解は教えてもらえないが、とりあえずF.Pという人間の正解と思えるものを演技として出せと言われている訳です(誰も言ってない)。一通り調べてF.Pが好きになり、絶対に俺にしかできない役にしようと思いました。
本作における私のF.P
少ないシーンの中でF.Pという人間の人間性をどう演技するか、考えました。できれば本作の流れで求められる役割と、史実の本人の性格を推理した上で、小池が演じることのできるF.Pとは誰なのかを模索しました。
最初に本作における、彼の3つの特徴を拾いました。
本作のF.Pの三大特徴
① 本作で最も傷がない
② 本作で最も現実主義的
③ 本作で最も異質
①の特徴
他の人物と比べて、ほぼシリアスシーンがないって話です。劇団トレメンドスサーカスの作品では、ほぼ全員が何かしら明示的な痛みや影や悪を背負って生きています。例外っていましたっけ。例外がF.Pではないか位に思っています。F.Pは見た目に一切の傷がないのです。これは史実上のF.Pにも「本人が納得」しうる限りの傷がないこと(殺人の否定、脱獄)に共通していると気付きました。であれば私の体現するF.Pも、一辺の傷も意識しない人間であった方が面白いだろうと、思いました。
②の特徴
円さんもつぶやいていましたね。本作は童話をベースにしていることもあり、F.P以外は夢見がちです。それは5人の妻達を代表するようなメルヘンチックだけでなく、アリアーヌの発言含めて男の熱い夢も、光り輝くような希望の話も、夢でしかありません。その中でF.Pは基本的に現実主義。詐欺師は現実が見えてない人を騙す訳ですから、現実主義なのは当然かもしれません。
ここで、本作と史実に溝ができました。上述しましたが、現実主義であれば青髭の下にそのまま居座る理由がないのです。不利益しかない裁判の前に逃げ出す、有象無象の魔術師の一人でも良かったはずなのです。史実のように残った理由、また本作でも先の見えない青髭の下に残った理由とは。F.Pにとって人生を賭してでも城にいたかった、興味のあることがあったとしか思えません。
小池が見つけた答えは、「F.Pは、絶対悪を見たかったから残った」でした。言い方がふさわしくないかもしれませんが、F.Pにとって儀式のために死ぬユディット、復活したラピュセルの個体、手元にいるアリアーヌはどうでも良くて、悪魔による儀式という現象を見たかったのではないか?と考えました。現実主義だからこそ、現実に存在するが目で確認できない悪(ここでF.Pが悪魔を悪だと認識できているのが重要)を見たかったんじゃないかなという…実際書くと恥ずかしいこと言ってますね。
③の特徴
これは①と似ているかもしれませんが、この③のせいで(?)舞台を観た人の何人かは「?」と思ったに違いありません。しかしこれまでの長文、特に上述からF.Pの立場を理解できれば分かると思います。
――誰かと不必要にコミュニケーションする必要がない彼の顔は、何処にも興味を持っていません。例えば冒頭のシーンはアリアーヌをもてなす立場であって城の空気を作る役割があると分かっているので、「社交的」に振舞っています。それに対し花園やバルコニーのシーンでは、F.Pにとって知っている事実だし単なる儀式待ちであって、妻達の会話に一喜一憂する意味がない。だから該当のシーンでは5人の妻たちが細かい反応を返しているのに対して、F.Pだけ異質的に傍観者を決め込んでいるか興味が無さそうにしています。正直何かしらの反応が返せるのではと考えましたが、F.Pになった自分に聞いても答えは一緒でした。バルコニーのシーン終わり「さ、後は青髭公に任せて」の言い方が極度に普通(にしようと努めたけども)だったのは、場面の移り変わりを意識してもいましたが、「やっと終わったか」というF.Pの本心です。そこから一転して、儀式の間以降の興奮度合いはお察しの通りです。あとちょっと細かいけど、儀式に近づくにつれてF.Pの声を若くしているつもりでした。
この③の法則が分かると、シーンとしてもう一箇所、違和感が出てくる場所があります。青髭の死からアリアーヌの見送りまで、帽子を脱いで見送る動作はしていますが…それがどうしてかまで書くのは、個人的に無粋を通り過ぎてしまうので止めます。
結論、私はF.Pが極端に物事への興味が薄い人間だったのではないか、と解釈しました。イタリアから態々フランスに渡ってきた理由は、罪から逃れるため。ただし、単純に捕まりたくないのではなく、捕まって面白くないことになるのが嫌だったから。学があったことから上流階級出身であることを考慮し、夢があって他国へ出たなら詐欺師以外になるだろうと考えれば、許容できる推理だと思います。詐欺師だとしても、成人に満たない少年が財を築くのは難しく…ならば個人で高級男娼をしながら詐欺と殺人略取をしていたと考えるほうが、安直でも辻褄が合うのではないでしょうか。
F.Pが史実上、”本当にしたかったこと”は不明です。でも、だからこそ、物事に興味がなく、ただ興味をもちうるものと出会うために行動していたのであれば、本作で演じきることができると決めました。お金を稼ぐのは新しい物事に出会うため、新しい人に会って愛想よくするのは取り入って面白いものに出会うため、そして青髭公の城に居座ったのは青髭という男や他人の殺人に興味を持ったから。裁判に居残ったのは、裁判に興味があったから。脱獄したのは、獄中に飽きたから。
興味がないことには極度に興味がなく、逆に興味を引くものには興奮する。大人びているが、まだ少年の。倫理観の基準「誰かの納得」を「自分の納得」でしか考えていない、極論:他者を超越した本作最大のサイコパス。これが私の表現したかったフランソワ・プレラーティでした。言うがやすし、体現するが難し!果たして観ていただいた方々に、ここまで届けられているのだろうか(そこまでできた役者ではないのが、悔しい。精進します)。
演じるにあたってもう一つ書き残したいこと。座組みのメンバーと、本作におけるほぼ全員が「二面性があることを意識したほうがいいね」という話をしていました。妻達には過去と現在が、エグリとマリィは生前生後の違いがあります。アリアーヌやユディットにも、それぞれが一人の女であることと姉妹であることといった、二面性があったと理解しています。ジャンもそうだし、悪役は過去が描かれないと明言されていたトレモイユも、根底では同じキモ…変態だったとしても宮廷侍従長とタダノヘンタイという二面性があるよねって話してました(リンクでは正義の話してるよね。ヤマモト氏の考えは好き。人の事いえないけど真面目だよね)。F.Pの場合は過去も未来もなく唯のイマがある現実主義、やるんだとしたら彼の根底にある「興味の有無」で二面性をやるしかないと考えました。加えて、現在を示す冒頭と過去回想では青髭に対する興味度合い/F.Pの精神的年齢(奔放さ)が違うので愛想の付け方に多少差があり、実質四段階に分かれていました。分けられていたかなぁ。
ちょっと余談。円さんと話している時、明示的にか「F.Pは悪魔になっている」と言われました。今思えばTwitterで呟かれていた『青髭』その後編としての死者の世話ポジションって意味をさしていたのでしょうけれど、F.Pは周りに興味がないからこそ本作で最も自由だったので「悪魔に相応しい」と感心してました。しかし誰よりも自由なのに、誰よりも愛だけは理解できなかったのだなぁ、とも考えていました。
F.Pが青髭公の城で見たかったのは「絶対悪」と書きましたが、「愛」だったのではないかと最後まで悩みました。個人的に性欲に対して自由な印象のF.Pでしたが、若く放浪していたことから親からの愛・異性ないし同性からの愛を受けた経験がなく、あったとしても愛が一つの道具でしかなかったとも考えました。であれば、青髭のように愛を歪に教えられていたのとはまた別に、愛を歪に覚えてしまったのではないか(伊達男と名乗ることや口説く事は社交の一つ、このあたりまた別の妄想があるのですが、伏せとこ…)。
この苦悩は大千秋楽まで、儀式に興味があるなら青髭だけを見ていればいいはずなのに、儀式中アリアーヌの影に隠れて笑顔で食い入るようにユディットを見ているところに残ってました。
追記
これをザックリ書いた段階で円さんに色々コメントをいただきました。そのことを踏まえてここに書きます。
私は若干バタイユは避けたのですが、青髭でのプレラーティについては、プレラーティの前任者である複数の魔術師や山師の役割をプレラーティに合体させた部分があります。
汗を拭いたりするネタのところは、プレラーティとの男色を匂わせてますね。青髭は大変重い作品で、ジルドレの一生についてもかなりシリアスなものだったと思うのですが、その中でプレラーティやその他の双子女占星術師や祈祷師達は、物語に清涼剤のような役割をもたらすと考えました。ただそれらを個別に出すと役が増えすぎる為、プレラーティに集約させる形をとりました。(劇団公式Twitterより)
どうやら双子女占星術師が悪魔召喚を警告するとか、そういうシーンがあったらしいです。そうなったらF.Pの人間性の解釈や演じ方が変わっただろうなって思います。
プレラーティも、トレモイユと一緒で過去があまり書かれてなかったりもする。(ツイキャスにて)
それは思っていました。トレモイユの過去が描かれてない理由=完全悪だからという話は本番より前に聞いていたので、暗にF.Pもそういうことなんだなと。兄貴はちょっと言及していましたね(というか、兄貴にF.Pの専用曲を作ってもらってるけど、そこでサイコパスの言及もしてもらっていて嬉しい)。
史実の裁判を見ても、本作の彼の立ち振る舞いを見ても、絶対に手を汚さないスタンスがトレモイユと共通しています。なぜか「手を汚さない」という表記は、一般的に悪役のイメージになりますよね。トレモイユよりも彼のほうが愛想という手段を使えて人誑しだったので、上手く生きていました。加えて、私のF.Pは本人が本人を悪だと分かっているので大分性質が悪いです。あぁ、悪役って清々しいなぁ(私自身はヴィランズタイプの人間です)。
プレラーティは刹那的。エグリとマリィが少年の血や臓器を持ってきた時、普通だったら「わー!」っていって逃げてもいい。でも、「わー!」って言ってオシマイにする。(ツイキャスにて)
若くてその場だけで生きている感じは、確かに刹那的!現実的とは言いましたが、刹那的な思考もないと詐欺は続かないですよね…。
このシーン、F.Pが生贄に対して興味が薄かったようなことも情報で得ていた(創作ではないかと言う話もあるので半信半疑)ので、図らずも刹那的になっていたかもしれません。
参考文献
斜め読み&孫引き、あとは楽しくなっちゃって読んだ奴とかありますが。
・ジョルジュ・バタイユ『ジル・ド・レ論ー悪の論理ー』
・吉田隼人『怪物の言説、言説の怪物』
・澁澤龍彦『異端の肖像』
・ミシェル・トゥルニエ『聖女ジャンヌと悪魔ジル』
・篠田真由美『彼方より』
・大西巷一『ダンス・マカブル ~西洋暗黒小史~ 』
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