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「呪い」と「まじない」は紙一重『呪いを科学する』を読んで
呪いは“まじない”とも読める。
私は呪いを信じているわけではないけれど、「あんた呪われているよ」と言われればゾッとするだろう。言われたことはないから分からないけど。
かけられた呪いがどんな種類の呪いかはわからない。交通事故に遭う呪いかもしれないし急に心不全を起こす呪いかもしれない。納豆パックに付けられたどこからでも切れますと書かれているタレが一生切れなくなる呪いかもしれない。
そして私は誰かに呪われるほどの大罪人かもしれないという気持ちにもなる。今こうして文字を打っている間にも誰かに呪われているかもしれない。最近、花粉症が酷いのは呪いのせいか。
呪いといえば呪い返しというものがある。自分が相手に呪いをかけたはずなのに、自分に返ってきてしまう。そのぐらいのリスクがなければ人を呪うのは無理なのだろう。
そういえば、呪いの代行業者が存在することを思い出した。退職代行といい、誰かに代わりにやってもらいたい人は多いようだ。呪いの場合、誰かにやってもらったら効力が弱まりそうな気もするが、特殊な能力のない人間が呪いをかけるよりプロの方が効果があるのだろうか。
私は誰かを呪いたいほど憎んだことはない。もし呪いで誰かを殺したら、罪悪感でどうにかなってしまうのではないだろうか。はっきり呪いで死んだと分からなくても、一生「もしかして……」と思いながら生きることになる。
「◯◯さんが呪いをかけていたらしいよ」と遺族の家族や恋人の耳に入ったら、こちらが呪い殺されてしまうかもしれない。もしくは直接殺しに来るか。それとも裁判を起こされる可能性もあるかもしれない。どんな判決になるんだろう。
呪いは「災いが起こりますように」
まじないは「良いことがありますように」
だいたいこの解釈で間違いない。
「呪い」も「まじない」も表裏一体。場合によっては「仕事が長続きしますように」のまじないが「ブラック企業で働き続け、身体を壊してしまえ」という呪いにもなる気がする。
こちらが"まじない"だと思っていても、相手にとっては"呪い"の可能性もある。だから同じ字なのだろうか。
両思いになれるおまじない。
私にとっては両思いになることは喜ばしい。でも相手にとってはそうではないかもしれない。おまじないで私を好きになってくれれば丸く収まるだろう。しかし、それが不倫関係の場合は違うかもしれない。
例え話だが、おまじないをした後に私は子供を授かった。相手は離婚したくなかったが奥さんが拒否し、離婚することに。そして相手は私と結婚した。
この場合、私がかけた両思いのおまじないは、相手の家族を壊し離婚させる呪いだったのではないだろうか。立場や見方によって「呪い」とも「まじない」とも言える。不思議なモノだ。
私が呪いについて考えたのは、先日、中川 朝子 (著)『呪いを科学する』を読んだからだ。
この本は呪いを科学や医学の面から紐解いている。昔と比べ、科学や医学が発達した現代では、呪いと呼ばれていたものが、説明できるようになった。
著者が現役医大生ということもあり、医学に関する話が多くタイトルの「科学する」とは少しズレている気もするが、読みやすくていい。
より深掘りされた次回作を楽しみにしたい。
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