ピュアでいこうぜ

僕は今20歳です。
キラキラのティーンエイジを終え、晴れて大人の仲間入りを果たしました。飲酒や喫煙など沢山の事が出来るようになり、その分背負う責任も増えました。

学校に行けば馴染みの友達がいて、帰り道にはマックを食べながらフードコートで何時間も話して、時にそれが音楽の話だったり将来の話だったり、はたまた恋バナだったり…みたいな日々が懐かしいです。

高校生の頃、僕は自分が10代である自覚を意識的に持つようにしていました。尾崎豊が10代を終えることを酷く惜しんだのを知って、自分が人生において一度しかない特別な瞬間を生きている事に嬉しさと焦りを感じていました。普通の高校生の自分を尾崎豊に重ねていたのは今考えればキモいとも思いますが。

以前、J.Y Park氏のエッセイを読んだ際、聖書について書かれている節がありました。
キリスト教における神様は全知全能であり、その神は時間という概念の外側に存在しています。過去、未来のような枠組みに干渉されない所から世界を見渡しているらしいです。全知全能の神は人類に対する深い”愛”のもとに、それまでに人類が犯した罪、これから生まれてくる人類が犯す罪を全てまとめてイエス・キリストを十字架にかけたんだとか。(多分)
時間を表す言葉には、過去、未来、今がありますが、このエッセイには「人間には過去と未来しかない(今は存在しない)」と書かれてありました。自分が”今”だと思っている瞬間にそれは数秒前の”過去”になっています。
だからこそ僕は今という感覚が好きです。自分だけの解釈で”今”だと思えるその空間に特別な意味を感じます。逆に今書いているこのnoteもこの瞬間の記憶を無造作に羅列させた一つの作品だと思えます。

僕は良くも悪くも影響されやすい人間です。
自己啓発本を読んだ後は著者の人生観で物事を捉えた動き方をしてしまいます。先述した尾崎豊もその一例です。
でもふと思い返した時にそんな自分が誰かの感覚で塗り固められたサイボーグのように思えて嫌になります。

「俺は俺だし、誰かじゃないしな」
結局のところ僕は「何かに影響されている生き方」ではなく、「他人に影響を与えるほどに強く確立された生き方」がしたいんだと思います。

オリジナルで魅せる。ありのままをさらけ出す。
これをするためには自分自身がピュアであり続けることが大事です。誰しもが持つ”俺”って感覚を大切にして。

僕の夢は音楽で売れて、東京ドーム満員の観客の前で歌うことです。沢山のメディアに引っ張りだこにされて多忙な日々を送り、全国に僕のピュアを曝け出して一つのシーンを作る。僕のピュアが誰かの感覚に触れて、繋がって、居場所になって、みたいにしたいな。なんて思ったり。

ピュア!最高!

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