岩川美花が理詰めで返り討ちか、 鈴木 菜々江が執念の雪辱か WBOアトム級戦 2022年2月25日
◇WBO女子アトム級タイトルマッチ10回戦
チャンピオン 岩川美花(姫路木下) 16戦10勝(3KO)5敗1分
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挑戦者 鈴木菜々江(シュウ) 15戦10勝(1KO)4敗1分
完全決着求める王者の岩川美花 けがの功名で発見楽しむ
2020年9月26日、神戸市中央体育館。WBO女子アトム級タイトルマッチはフルラウンドの戦いを終え、読み上げられたスコアは96-94で岩川、97-93で鈴木、97-93で岩川。勝ち名乗りを受けた岩川は「あぶな~」と心の声が聞こえてきそうな微妙な表情を浮かべ、敗れた鈴木はあふれる涙を手で拭った。
「あんなに突進してくる選手は初めてだったのでびっくりしました。予想はしていたんですけど、あそこまでとは思いませんでした」
ベルトを守った王者は第1戦をそう振り返る。徐々に脚で挑戦者をさばけなくなり、中盤以降は猛然と前に出る鈴木のボクシングに手を焼いた。クリーンヒットをあまり許さなかったとはいえ、ポイントの振り分けが難しいラウンドを重ねてしまった。結果が薄氷の2-1判定勝ちだった。
次こそはチャンピンとしての試合を見せたい。
岩川は2021年にジムを移籍。新たな環境で再スタートを切った。鈴木とのダイレクトリマッチがセットされたのは同年10月15日。再戦に向けて意気込んでいた9月下旬、スパーリングでパンチを放った瞬間、右肩から「ブチッ」と鈍い音がした。右肩はまったく上がらなくなり、試合延期の決断を余儀なくされた。
診断の結果は腱盤(けんばん)損傷。完全に治すには手術が必要だと判明した。しかし、岩川は体にメスを入れることを避けた。
「手術をすれば長期離脱、選手生命にもかかわります。それで何とか痛みを出さないようにしようと考えて、最初の1ヶ月は左だけで練習。右を使うにあたってはシャドーボクシングから見直すようにしました」
模索したのは「痛みの出ない打ち方」だ。打つ角度を意識した。するとストレートを真っ直ぐ打つといい感触を得られた。シャドーで痛みが出ないことを確認し、次にサンドバッグを打ち、最後はスパーリングで確かめた。
「私は筋力がないくせに右に頼るクセがあったんです。自分の筋力以上に強い右フックを打ち続けて右肩を痛めた。打ち方を変えてからは一度も右肩を痛めていません。ということは打ち方が悪かったということですよね。ほんと、ボクシングはいつも新しい発見があります。だからやめられないんですよね(笑)」
岩川は「発見」を楽しむ。それは25歳という遅いスタートが関係あるのかもしれない。学生時代はバスケットボールに熱中した。中学ではそれなりの選手だった。自信を持って強豪高校に進学したが、レギュラーになることはできなかった。卒業後は普通に就職して働いた。どこか満たされない気持ちがあった。
「高校の時、バスケでレギュラーになれなかったことが心のどこかに残っていたんだと思います。団体競技で一番になれなかったから個人競技で一番を目指したい。ボクシングをやってみたい。そう思っていたんですけど、怖くてなかなかできなかった。最後の最後、『まだ今なら間に合う』と思ったのが25歳の時です。26歳だったらやっていなかったと思います」
2011年にデビュー。勝ったり負けたりを繰り返した。2014年には網膜剥離を患い、当時のルールでは復帰が難しかったものの、ルールが緩和されて1年半のブランクをへて復帰した。16年12月の世界初挑戦失敗をへて、18年7月、池山直(フュチュール)を下して世界王座を獲得した。
遅咲きの38歳にまだゴールは見えていない。やりたいことが山ほどあるのだ。最近はフィリピンの4階級制覇王者、ドニー・ニエテスの接近戦にうなり、それを取り入れようとした。「めちゃめちゃ映像を見ましたよ」と語る様子は本当に楽しそうだ。
「どんな相手でもしっかり勝てるようなチャンピオンになりたい。そのためにここは乗り越えなければいけないと思っています」
勝利への執念は折り紙付き 鈴木菜々江は前に出続ける
岩川との第1戦、リングで採点を聞く鈴木の姿が印象的だった。3ジャッジのスコアが読み上げられるたびに涙がこみ上げた。何度も顔に手を当ててうつむいた挑戦者は、それでも負けが決まってすぐに勝者をたたえることを忘れなかった。
あの悔しがり方だ。「さぞ立ち直るのに時間がかかったのでは?」と問いかけると、鈴木は意外にも笑顔で返してきた。
「会長がすぐに再戦を決めてくれたので傷つくひまもありませんでした。はい、会長のおかげです」
神戸では鈴木の思い描くボクシングがある程度できた。「岩川さんがうまいのは分かっていました。私は詰めるしかないので」の言葉通り、常に前に出る強気のボクシングで、中盤以降はチャンピオンに思うような動きをさせなかった。ただし、後半に強いはずの鈴木が9、10ラウンドを取れなかったのは陣営の誤算だった。
鈴木は「スパーリングをしてくれた方々、サポートしてくれた方々のおかげで、対等といったらなんですけど、それなりにできたと思います」と第1戦を振り返る。反省点を問うと「負けたことです。みなさんが私のために準備してくれたので。勝たなきゃいけないのが私の役割だったので」と即答した。
鈴木のすさまじさは勝利への執念にある。彼女の試合を1回見れば、だれもがそう感じることだろう。シュウジムの松岡修会長はこんなエピソードを教えてくれた。
「リングでは別人になりますよね。出げいこでスパーリングに行った時、ゴングが鳴っているのに攻め続けて、僕が慌てて止めに入ったこともあります。負ければ大泣き。悔しいんでしょう。でも、ベルトとかトロフィーとかにはまったく興味ないんですよ。日本チャンピオンのベルトも要らないって言ったけど、さすがに初代王者ですからね。私が買いました(笑)」
鈴木はボクシングとは無縁の環境で育った。小学校時代は男の子と一緒にサッカーのチームに入り、中学では陸上に親しんだ。その理由は「太りやすかったので運動をしないといけなかった」というもの。高校を卒業するまで生活の中に格闘技を感じさせるものは何もなかった。ただし、漫画『はじめの一歩』を除いては――。
高校を卒業後、会社員として働きながらボクシングジムに通うようになった。ダイエットが目的ではなく、最初から選手志望だった。当初はアマチュアのリングを目指していたが、試合に恵まれず、プロ転向を決意した。
2016年のデビュー戦に勝利したものの、「次も勝てるだろうというよく分からない自信があって2戦目に負け。そういうなめたことを考えているとダメなんだなと思いました」。気持ちを入れ直した3戦目も黒星を喫するが、18年3月に初代日本アトム級王者に輝いた。
最初からチャンピオンを目標に掲げていたいたわけではない。負けて猛烈な悔しさを味わい、強くなりたいと思い続けた結果、練習の密度はいつしか濃くなり、モチベーションも上がっていった。それでも鈴木の口から出る言葉はどこまでも謙虚だ。
「私の場合、運が良かったと思います。日本タイトルを取ったのはちょうど女子の日本タイトルができた時でした。世界タイトルのチャンスが巡ってきたのもまた運だと思っています」
自身初の世界タイトルマッは2-1判定という惜敗。ダイレクトリマッチが巡ってきた今回ばかりは決して運ではない。
「不安はありますけど、やらなきゃいけません」
第2戦の抱負を問うと、返ってきた言葉は短かった。拳で語るのが鈴木の流儀。選手として旬を迎えつつある29歳は、最後の最後まで前に出続け、チャンピオンの心をへし折ろうとしている。
<渋谷淳>
●ライブ配信情報
▷配信プラットフォーム:BOXINGRAISE
▷ライブ配信:2月25日(金)18時00分~試合終了時刻まで
▷料 金:月額会員制 980円/月
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