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【宇津木秀】獲るために来た10戦目のリング 今までのすべてをぶつける 2022年2月8日

◇日本ライト級王座決定戦10回戦
 1位 鈴木雅弘(角海老宝石) 7戦7勝(4KO)
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 4位 宇津木秀(ワタナベ) 9戦9勝(7KO)

 王座決定戦ながら、チャンピオンカーニバル屈指の好カードのひとつと評判の顔合わせである。ともにしっかりとしたアマチュアのキャリアがベースにあり、プロのリングでも実力を示して全勝を続ける。アマ時代に対戦経験があり、1学年上の宇津木秀の2勝1敗という因縁もある。日本一の座を争うに相応しいハイレベルな攻防が期待される。

 2018年3月のプロデビューから間もなく4年、10戦目で迎える初のタイトルマッチ。宇津木は「長かったな、と感じますね」と感慨を込め、自分に言い聞かせるように続けた。

「でも、これも9戦、勝ち続けてきたからこそ、この手につかむことができたチャンスなので。獲るために来た10戦目という感じですね」

 ここまでの道のりを長く感じた裏には、同い年のチャンピオンの存在がある。

平成国際大学時代、リーグ戦で3度、拳を交えたライバル(1勝2敗)で、プロに転向してから1年3ヵ月、6戦目にして東洋太平洋スーパーフェザー級王者となった三代大訓。1年早くデビューし、プロでは同門になった三代の足跡を間近で見ていただけに「自分も」という思いがあった。

「よくスパーリングもしますし、話もしますし、京口(紘人)さんと谷口(将隆)さんのような切磋琢磨し合う関係で。あいつがどう思ってるかは分からないですけど、僕は結構、気にして、早く形になるものがほしいっていうのはありました」

同門で切磋琢磨し合う三代大訓と

 そして、宇津木の5ヵ月後のデビューから2戦目で東洋太平洋女子アトム級、3戦目で日本同級王者となった松田恵里(TEAM10COUNT)。花咲徳栄高校当時、師匠の鳥海純会長がOBだった縁で練習に来た松田と出会い、意気投合して以来の仲だという。一緒に共通の後援者に挨拶に行くと、どうしてもベルトを持っているほうにスポットライトがあたる。

「すごい選手ですし、尊敬もしてますけど、そういうのを隣で見るたび、悔しい気持ちになって。心の中では焦っちゃいけないと思っても焦る気持ちになりました」

 その後、ライト級に転級した三代は元世界王者の伊藤雅雪(横浜光)から殊勲の勝利を挙げて脚光を浴び、引き分けに終わったものの、松田は世界挑戦も果たした。

 吉野修一郎(三迫)が王座を返上してほどなく、話があったときは「ついに来たか」と胸が高鳴った。ベルトを争う鈴木雅弘はかつて戦った宿敵というより、すでに1階級上の日本王者になったプロの強者として見ている。

「各段にパンチ力が上がってるし、上体や肩を柔らかく使って、相手のパンチに合わせて振ってきたり、外国人っぽい戦い方になったなと感じます。相手にとって不足はないですし、これに勝ったら、ライト級には宇津木もいるぞっていうのを知らしめることができると思うので。悔いのないようにすべて出し切って、まずは2月8日、必ず日本タイトルを獲って、ここからもっとステップアップしていきたいですね」

2021年7月14日ライト級8回戦 VS 中井 龍

 埼玉県所沢市の出身。初めてグローブを握ったのは中学生のとき。高校のボクシング部に入った3つ年上の双子の兄の練習相手をさせられた。「ボコボコにやられて。そりゃ、イラッとしますよね(笑)」。当時はプロ加盟していた東京・清瀬にある往年の世界王者・沼田義明さんのジムに通い始めた。中学3年になり、ちょうど進学先を考えだした頃、ジムを訪ねてきたアマチュアボクシングの名伯楽・木庭浩介さんの目に留まったことが、宇津木の人生を決めた。

名門・花咲徳栄高で「自分は変わった」というぐらいボクシングに打ち込んだ。所沢の自宅から片道2時間かけて通学し、朝夕の練習。帰宅後も近所のスポーツジムで自主練習に励んだ。選手歴こそなかったが、ジム通いの経験があった父親が熱心にコーチしてくれたという。初の公式試合で「勝ったときの感覚、みんなが喜んでくれた姿は、今でも忘れられない」。一層、熱が入った。

 アマチュア戦績は通算108戦81勝(23KO・RSC)27敗を誇る。だが、高校3年のときに初めて出た全国大会、選抜の決勝で現・日本スーパーフェザー級2位の大里拳(大鵬)に敗れて以降、ついに優勝は果たせず、再び決勝のリングに立つこともなかった。大学最後の全日本選手権も3位に終わり、「ボクシングは、もういいかな……」。自分では高校、大学の7年間、全力でやり切り、納得したつもりだった。

 いつ、どこの会場だったか、はっきりと思い出せない。それでも観客が総立ちになり、歓喜に包まれた光景は目に焼きついている。2017年、村田諒太(帝拳)、寺地拳四朗(BMB)、比嘉大吾(現・志成)が躍動した試合会場を見渡し、「もう一度、やりたい」と心を動かされた。その年の暮れ、焼肉店で働く傍ら、母校でコーチをしていた宇津木は全日本社会人選手権に出場。「優勝できなかったら、プロに行く資格はない。やめよう、と」。自分に課した“プロテスト”をクリアした。

 アマチュア時代、ずっと乗り越えられなかった自分がいた。

「いつも大事なところで勝てなかった」という。個人戦以上に1敗の重みを痛感したのが、団体戦形式で勝敗を争う大学のリーグ戦だった。毎年のように戦績は4勝1敗。特に主将を任された大学3年、4年時の1敗には「期待に応えられなかった」と大きな責任を感じた。

 ようやくたどり着いた日本タイトルマッチ。そんな悔しい思いも、同い年の三代や松田に遅れを取った悔しさも、すべてぶつける。

「今はすべて、この日のためにあったことだと思って。ここで勝って、すべてをひっくり返してみせます。向こうも対策してくると思いますけど、それを上回るような戦略と自分が培ってきたスキルをすべて出して。今まで応援してくれている方たち、恩師の木庭先生、みなさんに形で恩返ししたいと思います」

 頭の中には、歓喜に包まれたリングでベルトを巻いた自分がいる。

<船橋真二郎>


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