高速道路の話
こんにちは。
今までの人生の中で一番ハードな日々を送っている最中なのだが、最近はやたら
『高速道路に乗りたいなァーーーくぅーーーー』
という衝動に駆られることがある。
小さい頃から一人でいることも多かったと以前のnoteでも話したが、それでも弟が産まれてからはたまに母と弟と継父(以外:親父)で遠出や旅行に、部外者である私も、連れて行ってもらえた。
そういった遠出の際に高速道路に乗るのだが、いつもそれがすごく不思議な感覚だった。
一般道路とは比にならないくらいの速さで走るので、乗ってるだけでも気持ちがいい。母は強迫性なところがあるのでいつも親父が運転していた。親父は完全なるモラハラ夫なのだが、帰りの高速道路で母と弟は寝ていても全く嫌な顔はしなかった。PAに寄ったときには起きている私にだけ一応何かいるかと尋ねる親父。私たちはお互い気を遣い合っており、一軒家で一緒に住むことになってからもあまり会話を交わすことはなかったが、こういうときには私に話しかけるので、その時の親父の心情を汲み取ると、今ではいい思い出。
高速道路は等間隔に電灯が設置してあるが、それを遠くから見たときに綺麗に並んだイルミネーションのように見えるのが、またお気に入りのところでもある。
私はこの明かりが大好きで、見つけるたびにカメラ欲しいと嘆いている気がする。
高速道路での帰りになぜ私は眠らないのかというと、運転の人に気を遣っているとかではなく、当時30代の母と小学生の弟よりは体力があった時期だったというのと、ただ単に高速道路が好きだからだ。
当時TSUTAYAでCDを借りてウォークマンに落とし込んでいった曲を爆音で聴きながら、等間隔に並んで夜に光る電灯をどんどん追い越していく気持ちよさ。
冷房や暖房のいらない季節には、運転席と助手席の窓が若干開いていたので、風がズバーーっと車内に入って後ろの席まで流れてくるのが、また気持ちよかった。
19歳ころから、免許を持っていたらな、とふと思うことは何度かあった。
しかしそれは自ら逃したのである。
小さい頃は散々だった。決して幸せとは言えない。小学生のときに、施設に行きたいって親に訴えたことだってある。その時に母親は、“家族は一緒にいたほうがいい”と言っていた。でもどうせ仕事や外泊で家にいないのなら、家族なんてもんは、ないも同然で、施設に行ったって同じじゃんと思っていた。
私の人生に直接関わるお金は、親父は全く出していない。私が産まれてから母親が貯金していてくれたお金で、行きたい短大に入学させてもらえたし、本当は免許だって、教習所選んできなと言われていたのだ。
私はそれを、すべて無下にした。
ちょうど高3のとき、進路が決まって今まで張っていたものが切れたかのように不登校になってしまって、短大は最初だけ通えていたが、結局退学。
教習所もただただ面倒だという理由で全く探さなかった。
なんなら今は母親に数十万も借金までしている。
とんだ親不孝者だと思う。を通り越して、もう自分で自分に呆れ返っている。笑える。ここまでくると、自分ですら自分を信じてあげられない。
そんな私でも、高速道路をいつか、自分の運転で走りたい。
スピッツやSIX LOUNGEなどをガンガンかけながら、飛ばしてみたい。
私の、一生叶わないと思う夢のひとつだ。
ごまだんご
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