見出し画像

フレンチ・ディスパッチ

#映画感想文

コンクリートの名作

モーゼス・ローゼンターラーと看守シモーヌ
ローゼンターラーは精神疾患を患っており、極めて猟奇的な殺人を犯している狂人である。同時に、劇中では描かれることはなかったが、同性愛者であると考えられる。
その内実を見てみる。

同性愛

①ローゼンターラーがある囚人の部屋の部屋を訪れるシーンがある。囚人は正面を見ている。画面越しに我々を見ているが、この男が実際に見つめているのはローゼンターラーだろうと考えられる。
②囚人が酒をなみなみと注ぐ。
③ローゼンターラーと入れ替わる。その際、その囚人の頭を愛おしそうになでる仕草が描かれる。

なぜ入れ替わる必要があったのか?

正面を向いて見つめ合っているのなら、カットを切り替えることでローゼンターラーを映せば良い。しかしそうしなかった。画面のこちら側にいる人への示唆がそこにはある。男がいたところ=不在にローゼンターラーが座る。そこには差異があるが、しかしなみなみと注がれた液体はある。そしてその液体=精液は飲むことができるのだ。我々は愛の差異はエロスでしか表現できない。そしてそのエロスは一つになりたいと思うが、一つになることはないという、その動力そのものである。

シモーヌについて

シモーヌは倒錯的に描かれている。彼女もまた狂人であると思う。
‘‘シモーヌ‘‘ 女性名詞で Simonu 男性名詞で Simone となる。
男性の呼び名は、シモーネ、シモンやサイモンとなる。
映画はフランスの話なのだから必然的にシモーヌ・ヴェイユが浮かび上がる。

”シモーヌ”は「神から聞いた」という意味

シモーヌ・ヴェイユも25〜26歳の頃、寒村でキリストとの接触を得ているというエピソードがある。また彼女は哲学者ではあるが、戦時に新聞記者を装って小隊に参加したり、20代の半ばには工場での重労働の経験がある。そういった彼女のイメージには看守をしている映画のシモーヌとダブるところがある。
映画のシモーヌは元奴隷であったと考えると、ヴェイユ同様ユダヤ人であったのではないかとも推測できる

しかし、ここで描かれているのは囚人から見える女看守のエロスだといえる。
※しかも、それがフレンチ・ディス・パッチの美術記者ベレンセンにダブる・・・
実際、彼女はプレゼンテーション中に自分の裸をさらしてもいる(間違って?)

画家のエロス / シモーヌのエロス

二人はともに重ならないものを求めている。それは象徴である。
それは愛ではない。シモーヌが否定したとおり。
①裸のシモーヌに触れようとするローゼンターラー。しっしと追い返すシモーヌ
②電気ショックで自殺を図ろうとする画家。それを手玉にとるシモーヌ
③・・・



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集