生返事を続けても揺るがない関係
「この服でいいかなぁ」
妻は姿見を見ながらいった。
「うん、いいね」
と、私は生返事をした。
「あっ、でも、こっちにしようかな」
そういう妻に私は同じように生返事を繰り返した。
「あー、いいと思うよ」
私の返事を聞いているのか聞いていないのかわからないが、
「でも、黒ばっかりだなぁ」
という妻。
「うん、そうだね」
どうやら私の返事は期待されていないようだ。
「やっぱり、こっちにしよう」
最早独り言としか思えない。
「うん、いいね」
「どうでもいいね、でしょ?」
笑いながら私を見ていった。
「どうせ返事は期待してないくせに」
そういい返す私に、
「まあね」
といって支度を終えた。
私は休みで妻が出勤の朝。支度をする妻との会話。
若い頃なら喧嘩になったのかも知れないが、今では生返事でも、普通の会話の一コマになっている。
言い訳をしておくと、ちゃんと服は見ているし、それでいいと思ってはいるのだ。ただ、別のアレンジを思いつかないだけ。
オマエ、カメラマンやったんちゃうの?
仕事ではスタイリストがいるし、メーカーのデザイナーもいる。似合っているかどうか、素敵かどうかはわかる。別のアレンジができないだけだ。そういう才能があったら、きっと人生は変わっていた。今頃は有名なファッションデザイナーになって、世界を舞台に活躍していた。
妄想爆発させる才能だけは優秀やな
内心の自由だ。
若い頃の私の写真を見ると、着ている服装が今と変わらないことに、我ながら驚いてしまう。顔を隠せば服装だけでは、時代がわからない。
老けたからな
そこではない。
昔から服の趣味は本当に変わらない。
考えて見ると、夏場のジーンズにTシャツって変えようとしてもできない。春秋はその上にトレーナーで、寒くなると防寒ジャケットを羽織る。きっと誰でも同じではないのか。まぁ、職業柄そういう服装でもよかっただけかも知れない。
それでも、スーツはちゃんと持っている。正に一張羅だけど。後は礼服。案外これで社会人はできるものだ。そんな私が妻の服装選びに参加できるわけがない。
最初からあれは独り言なのだ。だから生返事でも喧嘩にはならない。長年培われたキャリアのお陰だ。
私はお互い様だと思っている。ただ、妻の私のような「適当な相づち」を聞いたことがない。即座に「どっちでもいいよ」と返ってくる。私には「どうでもええよ」と聞こえるが気のせいだろうか。
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