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思い出話

遠い遠い若い頃、仲間たちとの会話。
 

私(○○)に向けて、
 
「○○は博打、せえへんな」
  標準語訳(○○は賭け事はやらないね)
 
「せやな、せえへんな」
  標準語訳(そうだね、やらないね)
 
「なんでなん?」
  標準語訳(どうして?)
 
「オレの人生が博打みたいなもんやろ」
  標準語訳(私の人生が博打のようなものだから)
 
「せやせや」(全員で)
  標準語 意訳(そうだそうだ、激しく同意する)
 
「納得すんなっちゅうねん」
  標準語訳(納得しないでくれるかな)
 
 
こんなやり取りを思い出した。
大谷翔平さんの元通訳の裁判のニュースを見たからなのかも知れないが、博打・賭け事に填まらなくてよかったとつくづく思う。
彼の場合は心の病気のようだが、人ごとではないのだろうとも思う。

賭け事に限らず、失敗を悔やんで「もうこりごりだ」と強く思えば思うほど、抜け出せないで繰り返してしまうことがある。
 
 
また別の話題に移って、私が高いところが苦手という話から、
 
「綱渡りなんて、どうかしてるで、あんなとこで命掛けんでも、オレなんて生きてることが綱渡りみたいなもんや」
  標準語訳(省略)
 

と冗談でいったら、みんなが当然のように同意したことを、今でも鮮明に覚えている。
 
 
「なんでやねん!」
 
 
私は綱渡りをするギャンブラーではない。
もっとも、橋のない川を渡りはじめてから、橋を作り始めるところはあるけれど、私はしっかりと見積もりを立てて行動しているつもりだ。
 
「その見積もり自体がギャンブルやねん」
 
といわれるとは薄々感じている。
もうこりごりだと何度も思ったのに、やっぱりまたやってしまう。
 
そんなことを考えていたら、
「ボーッとしてどうしたの?」
と妻にいわれたから、
「綱渡りをするギャンブラーの話覚えてる?」
と聞いたら、

「もう引退したら」

だって。




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dandysmile
読んでいただいてありがとうございます。 お志はこれからの糧にしたいと思います。