SLAM DUNKの豊玉戦について語りたい
「SLAM DUNKで一番好きな試合は?」というのはファンなら必ずする質問だろう。もし聞かれたら、私は豊玉戦と答える。
(ただ、最近はTHE FIRST SLAM DUNKを毎日見ているので、山王戦もかなり推しだが…。)
ただ、豊玉戦は残念ながら人気がないらしい。
その理由は、豊玉はラフプレーが多く、スポーツマンシップが欠けていること。
そして、アニメ・映画になっていないので原作を読んでいる人しか知らない。
豊玉よりランクが上のインターハイ常連である愛和学院や山王工業のキャラが先に出てくるため、湘北が負けるはずもなく、ゲームの勝敗が始まる前から分かってしまい、つまらない。
などが多いようだ。
とはいえ、豊玉陣営はバックグラウンドが色濃く描かれ掘り下げられているので、私としては、つい思い入れも強くなってしまう。毎回感動なしには読めない。
この記事は、私が考える豊玉戦について語る回です。
豊玉は湘北のインターハイ第1回戦の対戦相手で、主にキャプテンの南と岸本の3年生コンビがクローズアップされる。
とにかく走って速攻で点を取りにいく、オフェンス(攻撃)重視の「ラン&ガン」をモットーに掲げる北野監督に憧れ、南と岸本は豊玉高校に入学する。しかし、その年の夏に北野監督は解雇されてしまう。
バスケ部に投資しているのに全国ベスト8では学校の名が売れず、投資分が回収できないという学校経営上の理由だった。(理事長の経営者としての判断は間違っていない、と大人になれば理解できる。ただ、それを高校生に分かれ、というのは無理な話だ。)
その後、新監督の金平が就任するが、ラン&ガンを否定され、南と岸本をはじめとする部員は反発する。それから南達は、「ラン&ガンでインターハイ優勝して、北野監督の正しさを証明する。そして、豊玉に北野監督を呼び戻したい」という一心でバスケに向かい合っていた。
南達が3年になった現在、湘北との試合に挑むことになる。
小学生らしき南と岸本が、北野監督に初めて会ったシーンがある。二人はそんな頃から仲が良かったんだろう。チームメイトである前に、二人は親友だったのではないか。
そうであるならば、一年前のインターハイで翔陽の藤真に怪我をさせた試合の後、こんな会話があったのではないかと想像する。
南は「威嚇のつもりだったのに、藤真に怪我をさせてしまった。試合には勝てたが、こんなのでいいんだろうか」それに対し、岸本は「勝ったんだからいいんだ。甘えたこというな。北野さん戻ってこれなくてもいいんか」。
藤真の怪我は事故だった。なのに、それから南は「エースキラー」の名を自ら背負うことを選んだ。
試合前の控え室で、
南「最初はオレがナガレカワ(流川)マークしたるわ」
岸本「……最初は…か」
という会話がある。
岸本のそのセリフの意味は「南が流川に怪我を負わせて退場させるから、流川は最初しか試合に出ないだろうしな」だ。
二人の間では、完全にエースキラーが肯定されていたのだ。
「オレらには勝利より優先するものはない」という言葉も、その後の南のモノローグで出てきている。
豊玉が辛いのはただ勝つだけではなく、"ラン&ガンで"勝つ必要がある、ということ。
北野監督のラン&ガンは、
点を取る→ゲームに勝てる→バスケを好きになってくれる、という理論。目指すべきゴールは「バスケが好きだ、楽しい」と思えること。
ただ、北野監督がいなくなった南達が目指すべきゴールは「とにかく勝つ」に変わってしまった。以前は同じゴールを見ていたのに…。
憧れていた豊玉高校バスケ部に入部して、北野監督に教わっていた南と岸本はどんな風だったのか、と考える。
きっと素直に北野監督の指導を受けていたんだろうな、と思う。作中でも一番ではないかと思うくらい北野監督は穏やかで、親しみやすそうな人柄。普段から部員との仲はきっと良かったはず。そして、これだけ部員に愛されているのは、普通の監督ではあり得ない。人間としても、監督しても、人を惹きつける力がある人だったんだろう。
ただ一方で厳しい練習もかなりやっていただろうが、そんな日々も南達にとっては楽しかったのではないか。
噛ませ犬ポジションだから弱いと思われがちな豊玉だが、横断幕に掲げられた言葉は「努力」。そして、大阪代表2校のうち1校ということを忘れてはならない。ましてや、大阪府予選の個人得点ランキングでは豊玉の南・岸本・板倉が1位から3位を占めている。並々ならぬ努力と日々の練習の積み重ねがないと、府大会で勝ち進むことはできない。
そんな夢中になって追いかけていた北野監督が去った豊玉。
バスケをすること自体が取り上げられたわけではないが、南達にとってバスケ=ラン&ガン=北野監督で、その時の彼らの喪失感は想像に難くない。
バスケの楽しさを教えてくれた、自分たちを導いてくれる人がいなくなってしまったのだから。
藤真と同じようにエースを負傷退場させるため、故意に流川に怪我をさせた南。藤真は退場したが、流川は腫れて左目が見えなくなっても、試合に出続ける。
それを見た記者が「"エースキラー"も流川だけは殺し損ねたな。逆に罪の意識で自分を殺しちまったか?」と言う。
怪我を負ってもなお、コートの中にいる流川を見る度、南は自分の行ったことを幾度も反芻しただろう。自分は卑怯な手段をとっているにも関わらず、流川は少しも怯むことなく真正面から正々堂々と向かってくる。
そんな罪の意識に耐えられる高校生がいるだろうか。
実際、南は大阪No. 1のスコアラーにも関わらず、後半の15分間1点も得点できていなかった。
そして、北野監督がいなくなってから二年近く経っているのに、南は試合中でも、会場の中にいるはずもない北野監督の姿を探し、心の中で北野監督に語りかけている。
試合も終盤に差し掛かった時、南は自暴自棄になり無理やり流川に突っ込んだ。バランスを崩し、コート外の記者が持っていたカメラに頭を打ち付け、気絶する。
意識が戻った時、目の前に思い続けた北野監督が現れたのだ。
今はミニバスを教えていて、「『大阪代表の豊玉高校の3年生はワシの教え子や』言うたら見たい 言い出してな」と会場まで子供達を連れてきていた。
その一言で南も救われたのではないだろうか。北野監督にとって自分達は誇れる生徒だったのだ、と。
そう思ってなければ、子供達に豊玉の話もしないだろうし、大阪から広島までわざわざ連れてこない。
そして、北野監督も南や岸本が「バスケを楽しんでいる姿」を見たかったし、それを子供達に見せたかったのだろう。
だけど、来てみたら楽しんでいるようには見えなかった。
ミニバスでもラン&ガンを教えてるのかと聞く南に対し、
「ラン&ガンなんて呼べるシロモノやないけどな…とりあえず楽しそうにやってるわ」と返す北野監督。
そこで南は、バスケを楽しむことを思い出す。
北野監督が去ってから、彼らにとってバスケは楽しいものではなく、「北野監督の正しさを証明する手段」や「エースキラー」の名など(自分の中で正当化していたとしても、南がそれについて悩まなかったことなどないはず)、苦しいものになってしまっていたのだ。
その後、南は試合に復帰し、「北野さん 来てはるで」と岸本に伝える。試合の残り時間はわずか2分だが、豊玉陣営はみんな憑き物が落ちたように、バスケットが楽しかった頃の自分達を取り戻す。
試合にやっと集中した南はその後、連続で3ポイントを決めるが、一歩及ばず4点差で豊玉は負けてしまう。
ここまでだと豊玉陣営がただ可哀想なだけに思えてくるが、そんな辛い状況にあっても彼らが報われたのだ、と読者が感じられるシーンがある。
それは最後に南と岸本がぼろぼろと涙を流しているところ(♯215ヤマオー、最初のページ)。
試合終了間際の2分間だけだったとしても、自分たちが一生懸命やり切ったと感じるから、涙を流したのではないか。力を振り絞って挑んだけれど、それでも相手に敵わなかった。そんな気持ちがないと、本気で悔しむことはできない。
もし、試合中に北野監督の存在に気が付かなかったら、バスケが好きな自分達を取り戻したプレーはできないし、同じように負けたとしても泣いたりはしないんじゃないかと思う。
北野監督に会えたから、彼らは精一杯試合に挑むことができた。
きっと、この後の彼らは真っ直ぐな気持ちで純粋にバスケを楽しんでくれるだろう。
これから先、彼らが何かに悩み、立ち止まってしまうような時には、北野監督が時々でいいので寄り添ってくれるといい。