書きたいことがない、ということ。
1本目の記事につけるにはあまりに気のひけるタイトルだが、僕には「書きたいこと」がない。この「書きたい」というのは絵が好きなら「描きたい」でもいいし、音楽をやっている人なら「歌いたい」にあたるものかもしれないが、要するに創作・表現活動の根本にはそうした想いがあるわけだ。
しかし、僕にはそのような誰かにどうしても分かってほしい感情など存在しないし、叫ばずにはいられない社会への不平不満など微塵も持っていない。
一応、物書きとして(微々たるものではあるが)お金をもらって記事を納品していた時期もある。また、大きな声では言えないが、プロの作家が新聞に載せる文章を書きあぐねているのを助けるために代筆して、それがほとんどそのまま掲載されたこともある。
つまり、誰にとってもそこそこ読める文章は書けるようなのだけど、肝心の表現したいものが存在しない。生成AIのように「こういう文章を何文字以内で作成して」と言われて発注通りに仕上げることができても、注文がなければ創作活動など何をやったらいいのか分からないのである。
だからと言って、インプットしてばかりの生活というのもなかなか辛いものがある。そんな生活を何年も続けていると、誰かが必死の思いで書き上げた本を流し読みして、命をかけて撮ったであろう映画を開始10分で視聴放棄し、プログラマーやグラフィックデザイナーが血反吐を吐いて完成させたゲームをすぐに返品してしまうような、なんともつまらない人間に成り下がってしまった。
だから、何かを受け取り続けて自分は沈黙するという日々に嫌気がさし、どうせ早晩飽きて投げ出すだろうとは思いながらも、昔作ったこちらのアカウントで文章を書いていくことにした。
今まで表現活動の真似事をしていて痛感したのは、僕はSNSに絶望的なほど向いていないということである。特に酒を呑むと感情に任せた攻撃的な文章を書き散らし、それを平然とリアルのつながりがある人に見せて、最後には退職に追い込まれたことだってある。
それらの反省から、このNOTEでは常に自分を少し俯瞰して、極力誰かを攻撃するような記事は投稿しないことを心がけていく。これは自己防衛の意味もあるが、どちらかといえば美意識の問題だ。要はみっともないのである。文句がある時は、正々堂々面と向かって相手に伝えられるような人間になりたい。
また、やっていくにあたって、特にジャンルやテーマは設けないつもりである。以前、2年ほどやっていたブログは主に自身の精神病について書いていたが、読み返すと気持ちが落ち込むし、同じような人ばかり集まってきて生産性がないと感じたからだ。
要するに何の展望もなく、そもそも読者がつくのか大いに怪しいNOTEを今日からやっていくというだけの話だ。毎日更新することだけを己に課し、あとは何も気負わず好きなことを書いていく。ではまた。