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友だちとの初海外の思い出を語ったら、いつの間にか母親への思いが溢れた

誰にでも、裏の顔がある。
それは、思春期の頃には、私のベースにあった考えだった。
なぜなら、私には子どもの頃から誰にも見せない、ドロドロと汚くてずるい、自分の裏の顔を認識していたから。
だから、どんなに優しい人にも、必ず裏の顔があると思っていた。
というよりも、「誰にでも裏の顔があってほしい」と願っていた。
誰もが自分と同じようにドロドロした部分がある、と思うことで、安心したかった。

そんな、幼い頃からの思いを再認識したきっかけは、コーチングセッションだった。
私は、現在コーチングを勉強中。
スクールのメンバーと、自分の価値観を明確にするコーチングセッションの練習をしていた。
このコーチングでは過去のエピソードを深堀りしていくため、私は初めての海外旅行の話をした。
私の初めての海外旅行は、大学3年生のときに友だちと行ったロサンゼルス。
アメリカの壮大さ、ユニバーサルスタジオやディズニーランドなどのメジャーな観光地、食べ物が何でも大きくて多い等々、初海外だったこともあり多くの思い出がある。
ただ、それ以上に、ロスの思い出といえば、一緒に行った友だちの内面を深く知ったことだった。
準備段階から、友だちの知らなかった内面が見え隠れしていた。
乗る予定の航空会社の事故が数年前にあり、旅行前は飛行機が落ちる心配ばかりしていた。
ロスに到着すると、ホテルが思ったよりも辺鄙な場所にあり、ひと区画先は旅行者には危険な地域だから行かないようにと説明されると、「怖い! 私はホテルから一歩も出ない!」と言い出し、さらにホテルの壁や窓にあった傷を「ピストルの弾の痕!」と騒ぎ出し……。

結論としては、予定通り観光してロスを楽しみ、トラブルに巻き込まれるともなく、無事帰国した。
しかし、旅行の間中、彼女の心配性や神経質ぶりに振り回されることとなった。
海外旅行を通じて、大学では見えなかった、一緒にしょっちゅう遊んでいても、国内旅行に行っても見えなかった彼女の内面を知った旅行になった。
ただ、それで友だちとの関係が悪くなったわけではなく、意外な一面を知って、むしろ好きになったというか、安心したのだった。

セッションの中で、
コーチ:ここまで話をしてみて初めての海外体験はどうでしたか?
私:旅行は人の本性がわかる。海外で友だちの見えてなかった部分を知った。
コーチ:人の本性とは、あなたにとってどんな意味があるんですか?
私:子どもの頃から、人の本性、裏の顔を見ると安心する。

このコーチングセッションから、冒頭の私の考えの再認識へとつながる。
そして、そこから、自分の子どもの頃からつい最近までの、母に対する「私の裏の顔」の再認識にもつながった。

母の私への評価は、「頑張り屋さん」「強い子」「自分でなんでもできる子」だった。
それは、きっと今も変わっていない。
子どもの頃は、その評価に違和感を覚えることなく、むしろ自分がほかの兄弟よりも自立していて、母に頼られていると思っていた。
しかし、いつからか、「母の評価通りの自分」でいることを、自分に課してしまった。
だから、いつも頑張っていなければならなかったし、母に弱いところをみせることもなかったし、母を頼らずに何でも自分で決めていた。
思い返せば思春期の頃から今まで、母の前で弱音を吐くことも、落ち込んでいる姿を見せることも、もちろん泣きながら相談するなんてこともなく、本音をさらけ出したことはない。
本当は、頑張らなくても、強い自分を演じなくても、自立していなくてもよかったはずだ。
しかし、私は母の評価を裏切らなかった。

どんなに悩んでいても学校で辛いことがあっても、家でいつも通り過ごしていれば、母に心配されることはなかった。
学生時代に、友人たちが「何も話していないのに、お母さんが落ち込んでいることに気づいてくれて」とか、「お母さんには何でもバレてしまう」と話すのを聞くたびに、どうして私の母はなにも気づかないんだろう、と思っていた。
真相はわからない。
もしかしたら、私の気持ちや変化に気づいて心配していたのかもしれない。
でも、母は父との関係や父が起こす問題に振り回されて常に悩んでいたし、父親の悪口を言っては感情的に怒鳴ったり泣いたり、それが日常の母だった。
だから、私の心の中まで心配する余裕はなかったのではないか、と思う。

もしも。
「もしも」は絶対にないのだけれど、もしも、『母の評価通りの自分を生きる必要なんてない、自分らしく生きていい。母に甘えていいし、感情をぶつけていい』と気づき、実際にそうしていたら。
母に甘えて、頑張れない自分や弱い自分をさらけ出して、ひとりで泣くのではなく母の前で泣いていたら、どうなっていたのだろう。

あれこれ考えてみるけれど、たとえ気づいたとしてもできなかったと思うし、できなくてよかったという結論に至った。
もちろん、もしも私がそうしていたら、母はきっと受け止めてくれたと思うし、一緒に悩んでくれたと思うし、力になってくれたと思う。
でも、当時の母に、さらに悩みや心配事が増えるようなことをしなくてよかったと思った。

でも、その一方で、母は一人では何もできない、決断力もない、だから私の悩みを相談しても無駄、と母をバカにしたり見下したりしている、私の裏の顔があった。
だから、母を支えようと努力したり自分にできることを頑張ったりしていても、それは嘘ではないのだけれど、裏の顔では母を下に見ている自分がいた。

しかし、母にもっと構ってほしかったこと、気持ちをわかってほしかったことなど、自分の気持ちに気づくことができて、さらに「もしも」を考えてみたときに、やっぱり自分の行動でよかったと思えたことで、母を下に見ていた思いを改めることができた。
裏の顔で母をバカにし続けていたことは、きっと私の母への復讐心があったと思う。
当時の思いを母に話してわかってもらいたいとは思わないし、裏の顔を話して母を傷つけるつもりなんてない。
自分の気持ちに気づけて、当時の自分の頑張りを自分で認められたことで、母への復讐心は必要なくなった。

初めての海外旅行、友だちとの思い出のエピソードが、まさか母への思いに至るとは思いもしなかったし、それをきっかけに自分の過去と向き合って気持ちを整理できたことで、母への黒い気持ちがなくなり、これからは心から母を大切にできると思う。

コーチングの力は偉大で無限大。
コーチングで、私のように過去にとらわれている人、生きづらさを抱えている人、変わりたい人のお役に立てるように頑張っていきたい。

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