アートのこども
「藝術は人間となるために必要なあらゆる経験であり、人間のあらゆる活動に含まれるような経験である。」 J.デューイ
2007年4月より京都造形芸術大学 芸術学部に「こども芸術学科」がスタートしました。
2005年に大学院附置機関として開設された親子の「こども芸術大学」を礎石に、「こども」と「芸術」の関わりをテーマとする人材育成が目的です。
学科を担うものとして大切にしたいことは、生物としてのヒトから社会的な人になるという成長-発達-変化する過程へのまなざしと、それらにどのような価値や意味を見い出し、生成していくかというまなざしです。
それらのまなざしには、多くの課題が潜在しています。そして、それらのまなざしの気づきや形成にこそ芸術活動や芸術教育に期待される大きな役割だと言うことです。
「人間は外からこねくりあげられる粘土でも、なにかをかきつけられる白紙でもない。
植物のように自ら上へ上へと伸びていくものです。曲げられてもやがて自律的に成長できるものなのです。」 ジャン=ジャック・ルソー
いま芸術は、才能ある特別な個人の営みから すべての人へと拓かれようとしています。
すでに18世紀に「こどもの理性」(エミール)としてルソーの言葉に込められたものは、「共通感覚」(中村雄二郎)といった 人間誰もが持っている本来の能力であり、生物学的にそなわってる「才能」(L.モホリ=ナギ)にほかなりません。
そこには芸術行為や活動が、イキイキと生きるということと直截的に繋がるという期待と意思が認められます。
こども芸術は、人間と芸術の誕生、起源、その発達や発生的なアプローチを基礎としています。 例えば、幼児のスクリブル(なぐり描き)というからだの動きやリズム、応答する周囲との遊び、さらに偶然や直感的な感覚作用と意識との間にズレて生じてくる〈カタチ〉と〈きもち〉のかかわりを課題としています。
さらに、芸術のジャンルを遡り、造形・音楽・身体表現・運動など、表現行為の起源・基礎を問題にします。
すでに、19世紀末から20世紀にかけてフランツ・チゼックが児童美術の実践から発見したことは、こどもは独自な人格を持つ独立した存在であり、彼の有名な「こどもたち自身によって成長させ、発展させ、成熟させよ」という言葉には、こどもに内在する能力や才能の創造性に裏打ちされています。
ここには、自主性や能動性といった自ら学び獲得していくモチベーションや感じ- 知る力をどのように引き出せるのかという課題が見えてきます。
芸術という個別で特殊な表現技術の課題・価値観から、〈感じ-おもい-つながる〉というコミュニケーションの課題・価値観へと大きく拓かれようとしています。
それは誰もが分かり合えるイメージやカタチに迎合し倣い従うことではなく、違いや差異があるからこそコミュニケーションが生まれてくるということでしょうか。
そこには、人が生きているという〈存在〉自体の価値や、〈あること〉、〈なること〉自体の意味を明らかにしようとする芸術の営みが、いま切実に求められてきているからだと思います。
2007年9月3日 「からだと表現」造形表現 授業ドキュメント あとがき より再録